『倒立する塔の殺人』―花の腐臭をただよわせる愛憎劇

先だって文化功労者に選出された皆川博子さんですが、彼女の小説をお読みになったことはありますか? もしや、ミステリーという言葉から謎解きを連想して、「そういうのはちょっと……」と敬遠なさっている方もいらっしゃるのだろうか、とふと思いましたので、皆川作品への入門書として、先生の中ではおそらくかなり親しみやすい部類にはいるであろう『倒立する塔の殺人』を紹介させていただくことにします。

倒立する塔の殺人 / 皆川博子 / 理論社 / 2007
倒立する塔の殺人 / 皆川博子 / 理論社 / 2007

かなり大雑把にまとめてしまうと、3人の少女たちが戦時下の女学校で交流を深めるが、突然にそのうちの1名が失踪、1名が死亡してしまう。遺品となった連続小説『倒立する塔の殺人』をほぼ唯一の手がかりとして、のこされた少女は、語り手である主人公とともに、憧れていた先輩の不自然な死の謎の解明にのりだすが……? といった話の運びです。

たしかに謎解きの要素はありますが、一種の恋愛小説でもあり、昭和の少女小説にしばしばみられた、女学校の上級生と下級生が結ぶ擬似姉妹関係、すなわち「S(エス)」の要素もふんだんに取りいれられている(実際、この言葉が小説のなかで使われている)ことから、そういったジャンルの小説として捉えることもできます。探偵が事件を解決していく、というようなものとは、またすこし毛色が違うのです。皆川先生のほかの作品、たとえば『薔薇密室』や『冬の旅人』といったものにしてもそうで、謎をいかに解明するか、というよりは、舞台設定や登場人物たちの性格や関係性の描写、全体を通した雰囲気づくりに重きが置かれているように個人的には感じます(だからといって、謎解き部分もけっして手を抜かれていない、というのがまた凄いところ)。

ちなみに、あらすじでも述べたように、作中にはこの小説と同題の本が登場するのですが、その本がどう描写されているかというと、「模造革の背表紙に孔雀模様のマーブル紙の表紙、中のページは白いこの本」。もうお気づきかと思いますが、『倒立する塔の殺人』の装丁は、これを模しているのです。小説の中にその本が登場する、というのは、ファンタジー小説やホラー小説などでよく使われる手法ですが、装丁まで合わせてくるとは……。単行本の特権である装丁の自由さがフルに活かされています。こだわり抜かれた本は、つい手元においておきたくなりますよね。

また、『白痴』『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、「アリョーシャ」「ラスコーリニコフ」など、皆川先生の、ロシア文学というかドストエフスキー好きを覗わせる単語がポロポロとでてきて、すこしくすっとしてしまいます。ファンの間では先生のドスト好きは有名で、あの陰鬱のさなかでこそ輝く美しさなど、影響をうけたのだろうなあ、というのは読んでいてひしひしと伝わってきます。皆川先生を愛読している友人に、以前紹介させていただいた『青年のための読書クラブ』を貸してみたところ、この本に雰囲気が似てるね、というような感想をもらい、ドストエフスキー好きの皆川先生の作品にドストエフスキーと、皆川先生のファンである桜庭一樹さんの作品に皆川先生と似た雰囲気が漂っているということで、受け継がれてゆくものを感じてわくわくしてしまいました。

「美しく青きドナウ」や「流浪の民」といったクラシックの名前もそこかしこに散りばめられていて、そのシーンのBGMとして脳内再生しながら読むと、より作品の世界に没頭することができるのでおすすめですよ!!

当店では、皆川博子作品の買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

ゆめみるおもい―ミュシャと晶子、夢の協奏

アール・ヌーヴォーを代表する画家兼デザイナーであったアルフォンス・ミュシャと、『みだれ髪』で有名な歌人、与謝野晶子。それぞれの名前はしばしば目にも耳にもしますが、このふたりの作品がひとつの場でいちどに取りあげられるというのは、とても稀なことではないでしょうか。今回紹介させていただく『ミュシャ小画集 夢想』では、なんと、そんな夢の共演が果たされているのです!!

ミュシャ小画集 夢想 / アルフォンス・ミュシャ、与謝野晶子 / 講談社 / 1997
ミュシャ小画集 夢想 / アルフォンス・ミュシャ、与謝野晶子 / 講談社 / 1997

この本とは、とあるブックカフェで出会いました。こじんまりとしたお店のなか、心なしかやさしい味のするカフェオレをいただきながらふっと視線を横にうつすと、そこにあったのは本棚の上に展示されたこの画集。ミュシャの画が表紙を飾り、ばっちり「画集」と題されてもいるのに、なぜかその下にあるのは与謝野晶子の名で、どういうことだ? とページをめくってみると、ミュシャの画と晶子の短歌が、互い違いに、もしくは同時にあらわれる、思いもよらない不思議な構成。どうしようもなく惹きつけられ、タイトルが夢想と書いて「ゆめみるおもい」と読まれているのも魅力的で、すぐさま購入を決めた本の山に積みあげました。

じつをいうと私は、ページを開いてみるまで、ミュシャと与謝野晶子、というか短歌をあわせることに不安をぬぐえずにいたのです。ミュシャはたしかに、かの有名な『トスカ』やデュマ・フィスの『椿姫』のような舞台のための作品をいくつも描いてはいますが、いずれも西洋のもの。短歌、という和の象徴のようなものとの相性はどうなのだろう、はたして互いのよさをうまく引きだせるのだろうか、とハラハラしましたが、それはまったくの杞憂でした。両者とも花やそこから連想されるものに題をとることが多いために一体感がありますし、ミュシャの平面的な画は、いざ短歌とあわせてみると、意外なほど違和感がなかったのです。

彼とおなじくチェコ出身の画家であるオルリックが浮世絵に感銘を受け、日本中を旅してまでその技法を習得した、という歴史的事実もあることですし、もしかするとミュシャも日本画を意識したことくらいはあったのかもしれず、それも短歌との協調を生みだす一因であるのかもしれないな、などと憶測に憶測ををつなげたようなことを、つい漫然と考えてしまいます。

当店では、ミュシャ関係の画集・図録や与謝野晶子の歌集などの買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

シャーマンキング完全版―愛にあふれた、真の完結

2004年に『シャーマンキング』が少年ジャンプより姿を消してからというもの、ラストシーンの蜜柑(未完、にかけた洒落)を目にしたときの悔しさを思いかえし、また、アニメが作品の本意に沿わないかたちでおわってしまったことを悲しんでは鬱々としていたわたしでしたが、そんな苦悩は幸いにも数年間で消えさりました。そう、2008年からの「完全版」刊行によって……!!

刊行の発表があった翌日、おなじくシャーマンキングファンであった友人と、学校の掃除の時間に割りあてられていた玄関ロビーで抱きあわんばかりに喜びあったことが、今なお思いだされます。

そしてまちにまった完全版は、武井先生ご本人が望まれていたかたちで補完されついに完結したストーリーに加え、何重にも工夫のこらされた豪華な装丁。こんなにも丁寧に製作していただけるのなら、まだまだ耐えしのんでもよかったかもしれない、とおもわせる程の出来でした。

この完全版のためにいくつもの描き下ろしがなされており、大々的に宣伝されているのは1.透明表紙 2.真 完結編 3.フルカラーキャラクター設定 4.背表紙連続画 5.裏表紙人魂アイコン 6.総扉ワールドツアーの6つです。そして、宣伝こそされていないもののファンの間では有名となっているのが、帯にある文句。それぞれの巻の表紙をかざる登場人物やその巻の内容をイメージしたとおもわれる一文が、帯に書かれています。

個人的に思い入れの強いエピソード〈恐山ル・ヴォワール〉が収録されている巻のものを引用すると、「千年余の夜行列車…終着へ発て。」(15巻)「千八十の夜行の列…執着を断て。」(16巻)。このふたつをみればわかるように、2文で一組になっており、韻が踏まれていたり単語をかけてあったりとほんとうに秀逸です。

シャーマンキング完全版 15 / 武井宏之 / 2008 / 集英社
シャーマンキング完全版 15 / 武井宏之 / 2008 / 集英社

この完全版刊行ののち、登場人物たちの過去をオムニバス形式で描く『シャーマンキング 0』の連載が開始。この予告として動画サイトにあげられた動画が一騒動ひきおこしましたが、もしかすると、あの一件でこの作品を知った、という方もいらっしゃるかもしれません。

そのさらにあと、主人公であった葉とその嫁アンナの息子〈花〉を主人公とする続編『シャーマンキング FLOWERS』の連載もはじまり、ファンにとっては至福のときが流れていた……のですが、『ジャンプ 改』が休刊の憂き目にあったことにより、現在FLOWERSの連載は中断されてしまっています。連載が再開されるにこしたことはありませんが、もしそれが叶わなかったしても、本作のように愛にあふれたかたちでの完結がなされることを願ってやみません。

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エンデのメモ箱、宝箱

ミヒャエル・エンデ。子どものころに、図書館や学校の図書室に繰りかえし足をはこばれた方には、とても懐かしく思いだされる名であろうと思います。あの分厚い『はてしない物語』を、時間をわすれて読みふけったりしませんでした?

『はてしない物語』や『モモ』の作者として、本好きな子どもたちのまえに現れる彼には、書斎においた箱に演劇の入場券や請求書といったものから小説の書きだし、ながい論文にいたるまで、さまざまな紙をつっこんでおく癖があったそうです。

今回紹介させていただく『エンデのメモ箱』は、そんな彼の作品のファンにとっては宝箱のような箱のなかから選りすぐった、メモや創作ノート、詩や批評、インタビューや手紙などとっておきの短編を1冊にまとめたもの。エンデがいかに多様な方面に興味関心を抱いていたか、そしてそれがどのように彼の作品に反映されているか、読者にしみじみと感じさせる、そんな本です。

エンデのメモ箱 / ミヒャエル・エンデ 訳・田村都志夫 / 岩波書店 / 2013
エンデのメモ箱 / ミヒャエル・エンデ 訳・田村都志夫 / 岩波書店 / 2013

ざっと目次に目を通してみても、「愛読者への四十四の問い」「亀」「芸術界の天才志望者への助言」「魔法使いの弟子のみなさんに警告」「永遠に幼きものについて」「世界を説明しようとする者への手紙」などなど、タイトルだけで興味をかきたてるものばかり。どれも一筋縄ではいかず、それぞれにエンデの洞察力やユーモア、そして優しくて意地悪なグロテスクさがうかがわれます。

個人的にとくに印象深かったのは、さきに挙げた「愛読者への四十四の問い」。天使や悪魔や奇跡について聖書は語りますが、それでは聖書はファンタジー文学に属するのでしょうか?  、詩を“理解した”というとき、それはどのようなことなのでしょうか? といった調子で、タイトル通り四十四の問いが並べられたものです。ひとつの問いをかけられるたびにどこかぎくっとしてしまい、その緊張が最後の問いでほぐされると同時に「してやられた!! 」と叫びたくなります。どんな問いかは、読んでみてのお楽しみ。

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『星の王子さま』―麦畑の色

言わずと知れた名作中の名作、『星の王子さま』。「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という言葉で有名なこの作品(の、続編)が、なんとアニメーション映画化され、現在全国の映画館で上映中のようです。

わたしは原作を愛するあまりメディアミックス作品については点が辛くなってしまうことが多いので、観にいくかどうかながいこと悩みこんでいました。ですが、公式サイトに載せられている監督の言葉にごまかしのない誠実さを感じたので、とりあえず一度は劇場に足をはこんでみます。

となるとやはり原作を読みかえしておきたくなり、小学生であったころに購入して、いまでは手垢にまみれている新潮文庫版『星の王子さま』を手にとりました。

星の王子さま / サン=テグジュペリ 訳・河野万里子 / 新潮社 / 2006
星の王子さま / サン=テグジュペリ 訳・河野万里子 / 新潮社 / 2006

一介の読者にすぎない身でなんだか偉そうな、しかもありきたりなことを言っているぞ、と思われてしまうかもしれませんが、やはりすばらしい作品、人のこころに褪せない印象をあたえる作品というものは、読みかえすたびにあらたな発見をさせてくれるものを指すのではないでしょうか。

ずいぶんな昔に遠出をしたさきの本屋さんでみつけ、帰り道で夢中になってページをめくってから、もう何度読んだのかわかりませんが、そのたび「ここもいいなあ」「さりげなく、こんなにすてきな表現がされていたのか」と驚かされます。

それでもやはり、はじめからずっと変わらずに好きな箇所というものはあって、わたしにとってのそれは、王子さまとキツネの別れのシーン。離ればなれになるときに悲しみにくれるくらいなら、そもそも仲よくなんてならなければよかったじゃないか、さいごに泣いてしなうなら、いいことなんてなかったじゃないか、ということを言う王子さまに対して告げた、キツネの言葉。

「あったよ」「麦畑の色だ」

この言葉には、王子さまとキツネが出会ったときに、キツネの言った、「きみは、金色の髪をしている。[…]金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくはきみを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる……」という言葉が踏まえられています。

出会いの言葉が、別れの言葉につながってゆく。ともに過ごした記憶が、萩尾望都(『ゴールデン・ライラック』)いわくの〈らくだの水〉、メリー・ポピンズにでてくるバートいわくの〈子どものころのやさしい思い出〉のように、それぞれを形づくり、生かしつづけるものとなってくれる。それは、なんて幸せなことでしょう。

あんなにも美しいことばで、その幸福をつたえてくれる『星の王子さま』への愛しさが、日々募ります。観ると決めたはいいけれど、その分やはりすこし、映画怖いなあ……。

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