バレンタインを幸福で満たす、メリーチョコレートの物語世界

みなさんこんにちは!! さて、待ちに待ったお楽しみイベント、バレンタイン・デイが明後日に迫ってまいりました。この時期になると百貨店の催事コーナーは常になく華やかになりますが、もう足は運ばれましたか? わたしは例年、もっぱら自分用のチョコを求めてあのコーナーを訪れるのですが、今年はこれ以上ないというくらいにすてきなご褒美を手に入れることができました。

それがこの、メリーチョコレートと名作児童文学とのコラボシリーズ!!

メリーチョコレート アソートチョコレートとチョコレートミックス
星の王子さま × メリーチョコレート アソートチョコレートとチョコレートミックス
星の王子さま × メリーチョコレート アソートチョコレート(中身)
星の王子さま × メリーチョコレート アソートチョコレート(中身)

こちらは「星の王子さま」コラボ。タイトルロゴに、星、バラの花、ゾウを丸呑みしたウワバミ(あるいは、ウワバミに丸呑みされたゾウ)、ヒツジ、そして王子さま、丸缶にはキツネと、作中の印象的なモチーフが揃い踏み。ゾウとウワバミが図解されているバージョンになっているのが惜しいといえば惜しいですが、それにしてもすばらしいクオリティです。キツネが忘れられていないのも嬉しい……(キツネ、というかキツネと王子さまの関係性への思い入れについては、こちらの記事をご参照ください)。中身を食べ終わったら缶に何を入れようか、今からわくわくしてしまいます。

しかしなんと、舌を巻かされたという意味ではこれのさらに上をゆく品があったのです。

ピーターラビット × メリーチョコレート ブックコレクション 6個入
ピーターラビット × メリーチョコレート ブックコレクション

小学校の図書室に入り浸っていたみなさん、このシリーズ、きっと見覚えがありますよね?

ビアトリクス・ポターによる、イギリス人ならではのユーモアの利いた語りに、温かく柔らかな挿絵、ちんまりと愛らしい装丁。かたわらに積み上げ、一冊一冊小さな手で握りしめてクスクス笑い声をこぼしながら夢中になって読んだ、あの「ピーターラビット」シリーズ!!

完璧に狙い撃ちされている……。

バレンタインというイベントの性質柄、シックで落ち着いたものや挑発的なデザインのもの、おしゃれなものが多く大人な雰囲気を漂わせるフロアのなかで、ふと子供時代に立ち返らせてくれる品々。まだ子供でいることを許されている幸せを噛みしめながら、ゆったり味わって食べることにします。みなさんも、恋人にもらうにしろ家族と食べるにしろ友人と交換するにしろ、それぞれのチョコレートに詰まった幸せを存分に楽しんでくださいね。

古本屋 草古堂は、『星の王子さま』の関連書籍や「ピーターラビット」、「ムーミン」シリーズといった名作児童文学の買い取り大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

2017年に向けて――カキモリオリジナルスケジュール帳/本読むEDiT

こんにちは、皆様クリスマスはおかがお過ごしでしょうか? この日が過ぎると年内の大きなイベントも終わり、あとはゆったり新年を迎えるのみとなりますね。

さて、新年といえばスケジュール帳の代替わりです。来年1年間をずっと共に過ごしてゆくことになる1冊。去年はアクセントのトレーシングペーパーの挟まった動物シリーズ、今年はモレスキンの星の王子さまモデルを使用していた店員Nですが、2017年用はなかなかピンとくるものが見つからず焦っていました。

そんなとき、ここ数年ずっと気になっていた、蔵前にあるお店「カキモリ」さんのオーダーノートでスケジュール帳を作れると知り、ちょうどよかったと出向いてオリジナルのスケジュール帳(下の写真)を作ってきました。

カキモリ オーダーノート
カキモリ オーダーノート
カキモリ オーダーノート  中身(封筒・遊び紙)
カキモリ オーダーノート 中身(封筒・遊び紙)

表裏表紙や中の紙を選んでいる間も、製本していただいているときも、そしてできあがってからも、オーダーメイドならではのワクワク感が止まりません。

長く使うことになるものですから、できるだけ飽きのこないデザインにしようと、シンプルに青・紺系統で統一。しかしそれだけだとすこし物足りなかったので、アクセントに金の角飾りとピンクの遊び紙も付けてみました。最後に綴じた白封筒には、出先で見つけた気になる映画や舞台、展覧会のチラシなどを畳んでしまっています。こうしておくと忘れずにチェックできるので便利なのです!! 

市販のスケジュール帳だと、人によっては一度も使わないまま残ってしまうページも少なくないと思うのですが、このオーダーノートでは中の用紙の種類・数・順番もすべて自分で選べるので、その人その人に一番合うスケジュール帳をストレスなく使うことができます。

万年筆ユーザーや文房具マニアの間では、主にオリジナルインクの作成(inkstand)やこのオーダーノートサービスによってかなりの知名度を誇るカキモリさんですが、スケジュール帳を作れる(スケジュール帳にする用の紙がある)というのはあまり知られていない気がします。スケジュール帳選びに迷ったら、ぜひカキモリさんに足を運んでみてください。店員さんもとてもお優しい方ばかりです。

そしてもうひとつ、店員Nが新年に向けて準備したものがあります。「READING EDiT」、読書ノートです。スケジュール帳を探してネットを彷徨っているうちにEDiTのサイトに辿り着き、こちらを発見。読了日や好きな文章のみならず、装丁家や作中のキーワードを記入する欄まで設けられている徹底ぶりに惚れこみ、迷わず購入しました。

EDiTの読書ノート 「READING EDiT」
EDiTの読書ノート 「READING EDiT」
READING EDiT ブックジャーナル左ページ
READING EDiT ブックジャーナル左ページ
READING EDiT ブックジャーナル右ページ
READING EDiT ブックジャーナル右ページ

このブックジャーナルの他、本に関する支出表(頭が痛い……)、読書スケジュール、書店のアドレスを書き込むページもあります。ブックストア・アドレスには、ぜひ草古堂のデータも書き込んでくださいね!! それでは皆様、よいお年を。

伊藤計劃『ハーモニー』――ユートピア/ディストピア

小学生のころにあさのあつこの『No.6』に熱を上げたためかディストピアものに格別の思い入れのあるわたし店員Nですが、1年ほど前にとある小説を読んで、ディストピア、そしてユートピアに対する考えを根底からひっくり返されたような衝撃を受けました。

2009年に34歳で没した早世の天才、伊藤計劃。彼の、単独で書き上げたものとしては最後の作品となった『ハーモニー』。典型的なディストピアものと見せかけて、クライマックスでいっそ優雅にヴェールを脱ぎ捨て無機質で完璧な調和のとれた「ユートピア」を出現させるこの小説。

ハーモニー 新版 / 伊藤計劃 / 早川書房 / 2014
ハーモニー 新版 / 伊藤計劃 / 早川書房 / 2014

伊藤計劃は、デビュー作であり『ハーモニー』の直前の作品にあたる『虐殺器官』で個人的な「感情」に振り回され世界に混乱をもたらす人間を描き出し、そこから必然的に導き出される結論を、事実上の続編である『ハーモニー』という小説の形で発表しました。つまり、人間に「意識」「感情」がある限り、真の「ハーモニー(調和)」はありえないのだ、と。

そこまでは他の多くの作家も悟ったことでしょうが、彼ら彼女らはおそらく、ならばユートピアを諦めざるを得ない、という方向へ向かったことでしょう。「意識」「意志」「感情」といったものは、これまでずっと、とりわけ文学や哲学においては、ほかの何にも優先する人間の本質として扱われてきました。そうして「ディストピア」ものというジャンルが出来上がった。けれど伊藤計劃はその文脈からすこし外れて、脳科学や認知科学の研究結果に基づいて「ならそれらを消せばいい」という考えに辿り着いたのです。これまでの、各々の意識をもつ人間が互いへの思いやりによって成り立たせるユートピア像からひとっ飛びに、システムの一部としての人間の集合による無機質で完璧なユートピアを提示した。

作中でとある登場人物が主人公に対して、人間の「意志」は進化の過程で実装された後付けの機能に過ぎないからそれを取り払っても問題はない、というようなことを例を挙げながら淡々と述べてゆく場面がありますが、そこでわれわれ読者は盤石なものだと信じて疑わなかった足場が突如消えてしまったかのような不安に襲われます。そんなことはないと反論したい、しかしその圧倒的な説得力に、黙りこむしかない。

ハヤカワ文庫の新版(写真参照)の巻末に収録された「S-Fマガジン」の編集部によるインタビューでは、作者もそのことについて、「意識」「感情」に代わる人間の「その次の言葉」を探している、それがあってほしい、けれど今のところは見つからない、というニュアンスの発言をしていて、理知的な人間が溢したその発言の切実さに胸を打たれました。緻密に組み上げられたロジックの中のそのエモーショナルな部分が、この小説に彼曰くの「色気」、読者を引き込む魅力を与えたのでしょう。もし彼が生きて、作品を発表しつづけていたのなら、いつかはそれを見出して読者に示してくれたのかもしれない。そう思うと、それが永遠に叶わなくなってしまったことへの切なさが募ります。

また、同じインタビューで彼は、人称の問題について「誰かの物語でしかないんだったら、三人称を使うよりは一人称を使った方がいい。とすると、何らかの根拠がないと一人称では書けない」と述べており、『ハーモニー』はその思想を体現するような独特の「語り」の形式を採用している作品なので、そこにも注目して読んでいただきたいところです。

古本屋 草古堂は、伊藤計劃作品やハヤカワ文庫の買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

『しまなみ誰そ彼』――マイノリティの葛藤と救い

1年ほど前の、ある肌寒い日。私が在籍している大学のすぐ近くにある学生御用達の書店、そこの店員さん一押しコーナーにこの『しまなみ誰そ彼』は並んでいました。その日の私は、この本の帯を見て、息が止まるという感覚を久々に味わうことになったのです。

まず目に飛びこんできたのは、表紙の、繊細な絵と印象的な青。そして視線をすこし落とし、件の帯へ。そこには、次のような文句が書かれていました。

「お前、ホモなの?」――その言葉に僕が、死んだ。

しまなみ誰そ彼 第1巻 / 鎌谷悠希 / 小学館 / 2015
しまなみ誰そ彼 第1巻 / 鎌谷悠希 / 小学館 / 2015

『しまなみ誰そ彼』は、ゲイであることを必死で隠し苦悩してきた少年・介(たすく)が、「誰かさん」と呼ばれる女性や彼女のお店に集う面々と触れあう内に、自らの性指向、ひいては自分自身を受けいれてゆく話です。私自身、同性愛者でこそないものの、周囲から押しつけられる異性愛者の価値観に違和感を感じている身なので、読んでいてとても「刺さる」ものがありました。

とりわけ鋭かったのは、クラスメイトにゲイであると知られかけ自殺寸前まで思い詰めた介の、さんざん溜め込んだ感情をありたっけのせた叫び。

「なんで! なんで俺が、 なんでお前らの顔色見て生きてかなきゃいけないんだよ。 なんでこんなに串刺しにされなきゃいけないんだよくそ!! 俺は死にそうなのになんであいつらは死なないんだ」

私は、もう長いこと、ひとつの理想を抱いています。性的マイノリティが特別視されない世界。わざわざ注目などしなくてもよいくらいに、それらが当たり前のものとして認識される世界。多数派の人々と同じように、少数派の価値観が受け入れられる世界。なにもこれは、性的指向に関するものに限りませんが。

同性の人を好きになるのは、けっして異常なことではない。マイノリティ、というように、ただその指向をもつ人の数が少ないだけのことです。マジョリティとマイノリティの差は、ノーマルとアブノーマルの差にはなりえない。

ここ数日、アメリカ大統領選の結果を受けて、ネットでいろいろな意見が投稿されているのを目にします。そのなかに散見されるのは、移民や特定の宗教を信仰する人々や女性、そして性的マイノリティに対する差別的な発言を繰り返してきたトランプ氏への憤りの声。その声が上げられた、そして多くの人がそれに同調している、その事実が、この辛い現実のなかでせめてもの救いとなってくれています。

誰かにとっての「誰か」は、もしかするとすぐ近くにいるのかもしれない、そう信じたい。

古本屋 草古堂は、ジェンダーやLGBTQに関する書籍の買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

ドストエフスキーと愛に生きる――翻訳と文学と人生と

わたしの友人に、翻訳された文章を読んでいるとどうしても「これは本来の文とは違うものなのだなぁ」と感じてしまうため、はじめから日本語で書かれた本しか読まないという人がいます。はじめてそれを聞いた時とても驚いたのですが、もしかすると、同じ理由で海外文学に苦手意識を抱いている方というのは意外と多いものなのでしょうか?

彼の意見も理解はできますが、翻訳、海外文学に浅からぬ縁のあるわたしとしては、べつの主張をしたくなります。すなわち、翻訳はけっして単なる置き換え作業ではなく、翻訳者の歩んできた人生やそれによって培われた価値観をそそぎ込む、ある種の崇高さすら感じさせる行為である、翻訳された本はひとつの芸術作品なのだ、と。

とはいえ一介の学生が訥々と意見を述べても説得力に欠けますので、そのことを言葉で語るよりも雄弁に伝えることのできる映画、ドストエフスキー5大長編(『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』)の新訳に生涯をかけて取り組んだ翻訳家・スヴェトラーナ・ガイヤーを追ったドキュメンタリー「ドストエフスキーと愛に生きる」をご紹介します。

 DVD「ドストエフスキーと愛に生きる」
DVD「ドストエフスキーと愛に生きる」

タイトルだけみると、ドストエフスキーの小説についての映画、という少々お固いイメージを抱いてしまわれることでしょう。しかし実際には、翻訳についての映画、ひとりの人間の数奇な人生を描き出した映画、という見方もできる作品で、ドストエフスキーそのものにはさほど興味がないという方にもおすすめできます。

スヴェトラーナの口調は穏やかでありつつ強い意志を感じさせ、そのために作品は終始静謐な空気感を漂わせます。背景にしても、監督に「古き良き時代のロシアの邸宅のよう」と評された彼女の家や古めかしい列車、雪に覆われたウクライナの道、ギリシア正教の教会など独特の雰囲気を纏った場所が多く、彼女の言葉とシンクロし、それにより一層の深みをもたせています。

「翻訳は、左から右への尺取り虫ではない」

「わかる? 全体を見なくてはならないの そして愛さなければ 一つ一つの彫像はみえてこない」

「人はなぜ翻訳をするのか? それは逃げ去ったものへの憧れかもしれません」

スターリンにより父が、ヒトラーによりユダヤ人の親友が、ふたりの独裁者によって周囲の人間が次々に殺されていった厳しい時代を、スヴェトラーナは外国語の知識によって生きのびました。(この映画のなかで彼女は戦争についても言及しており、「精神的な経験はいたわりを育む そうでなければ殺し合うことになる」というフレーズがとても印象的に残っています。)「言葉によって、救われた」と話す彼女は、言葉に感謝し、ひとかけらの妥協も許さない誠実さをもって翻訳に臨んでいます。だからこそ、上に挙げたような彼女の翻訳論は聴くものに深い感銘を与えるのです。

終盤で彼女の息子の死が語られ、スヴェトラーナは彼が柩に寝かされたときの様子を「それはまるで赤ん坊を揺り籠に横たえるよう」を述べているのですが、ごく個人的に、SoundHorizonのアルバム『Roman』が思い出され、こみ上げてくるものがありました。

翻訳という行為、翻訳された文章に苦手意識を抱いている方に、ぜひ一度ご鑑賞していただきたい作品です。