大島弓子、その眼差し

1年ほど前のこと。大衆小説論の講義の最終回、前夜べつの授業のレポートをほぼ徹夜で書き上げた私はうっかり船を漕ぎかけていました(自業自得!!)。と、目の前にぱさりとプリントが。その衝撃ではっと目を覚まし手元に視線を落とすと、そこに印刷されていたのは「ロストハウス」という漫画。

それが私の、大島弓子作品との出会いでした。

全て緑になる日まで / 大島弓子 /  白泉社 / 1996
全て緑になる日まで / 大島弓子 / 白泉社 / 1996

なぜ小説の授業で漫画が配られたのかといえば、評論の意義、「その物語(事象)を観測する人間がそれをどう捉えるかによってそれは幸せなものにも不幸なものにもなるのだ」ということを示すためだったのですが、夢中でプリントを読み込みながらその解釈を聴いているうちに、私はすっかりその作品の虜になっていました。

そこで早速、少女漫画に詳しい友人に大島弓子作品のおすすめを訊いてみました。(彼女は、相手の性格・性質を吟味して選んでくれて、本当にはずれがないのです。)すると、「バナナブレッドのプディング」がよいのではないか、とのことで、この作品が私の触れた2番目の大島弓子作品に。

彼女は、私が世間のそれとは違う恋愛観・結婚観に興味を持っているのに合わせてその話を選んでくれたのですが、流石というかなんというか、見事ストライク。その単行本に入っているほかの作品も読んでみて、作者の感性それ自体に惹かれるようになり、「よし、ほかの作品も読むぞ!!」と意気込んだものの、その頃やたらと忙しく、しばらく漫画それ自体から離れる羽目に。

しばらくして、ようやくすこしはゆっくりできるようになり、中野ブロードウェイのまんだらけへ急いで『全て緑になる日まで』(上写真)を購入。この『全て緑になる日まで』には6つの短編がまとめられていて、順に「F式蘭丸」「10月はふたつある」「リベルテ144時間」「ヨハネがすき」「全て緑になる日まで」「アポストロフィS」ときます。どのタイトルも不思議で魅力的、作中のやわらかくも独特で心にすっと入ってくる台詞回しといい、この方の言葉選びは誰にも真似できませんね。

そして、巻頭の「F式蘭丸」。ネタバレになってしまうといけないので詳しい内容は書けませんが、主人公・よき子の、たえず変化してゆく周りに取り残されるさみしさ、もう戻らないものへの哀惜は、一度でも同じものを味わったことのある人にはじくじくと痛みを伴って思いだされるものでだと思います。けれど、その痛みを真綿で包み込んでくれるように話の結末はやわらかくやさしくあたたかく、大島弓子作品が読者を惹きつけてやまない大きな理由である、異端で孤独なものたちへの愛情が感じられるのでした。

当店では、大島弓子作品の買い取り大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

文藝別冊シリーズ 少女漫画編

今回は、河出書房新社より出版されている「文藝別冊」シリーズについてお話したいと思います。

「文藝別冊」は、丸々1冊を使ってさまざまなジャンルで文化的な功績をのこしている人物の特集を組むシリーズ。宮沢賢治など文豪の特集ともなるとかなり学術的な色合いが濃く、どうしてもとっつきにくく感じてしまいますが、萩尾望都先生と三原順先生の号を読んだ限りでは、漫画家特集のほうはかなり読みやすく、どちらかというと最近の「ユリイカ」あたりに近い感触です。

河出書房新社 文芸別冊シリーズ 萩尾望都・ 三原順
河出書房新社 文芸別冊シリーズ 萩尾望都・ 三原順

読み切り漫画やカラーイラストはもちろん、好きな本・映画・音楽の紹介といったうれしい情報もたくさん詰め込まれていて、ファン垂涎です。

萩尾先生の映画紹介はばっちり挿絵付きですし、三原先生の愛読書紹介はどの本がどの作品のどのエピソードに影響を与えたのかまで研究されていて、かなり読み応えがあります。

小説家の方との対談や巻頭のロングインタビューが萩尾先生の方にしか掲載されていない代わりに、三原先生の特集では『はみだしっ子』や『ルーとソロモン』の付録一覧や文庫で読める作品のリストが載っていたりして、ボリュームに偏りがないのもありがたいところ。ファンが「ここは抑えておいてほしい!!」と思うところは、おそらく大体入っているのではないでしょうか。

(ちなみに、三原先生の方に載っているショートインタビューは1970年代~80年代の雑誌に掲載されたものなので、口調の表記の仕方あたりに当時の独特の雰囲気が漂っています。あれはあれでステキ。)

当店では、文藝別冊・ユリイカの買取歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

百貨店ワルツ―モダンでロマンティックな夢の空間

イラストレーター、マツオヒロミさんをご存知でしょうか?  もともとイラスト本でコミックマーケット等に参加していた方で、和色を多用しながらも地味にならない色使いや丁寧に書き込まれた小物に背景、艶やかであったり幼さをのこしていたり凛としていたりと多様な女性の肖像で人気を博しています。

今回ご紹介するのは、そんな彼女の商業デビュー作『百貨店ワルツ』です。

百貨店ワルツ / マツオヒロミ / 実業之日本社 / 2016
百貨店ワルツ / マツオヒロミ / 実業之日本社 / 2016

タイトルからして、思わずわくわくしてしまうような独特の雰囲気漂うこの本。架空のお店「三紅百貨店」のガイドブックのような内容になっており、1Fは服飾雑貨部で扇や懐中時計のカタログと忘れ物をしたお客様を探す店員の漫画、2Fは美粧部でコスメ雑貨の案内とはじめてのお化粧品を買いに来た少女たちの漫画……といった具合に、取り扱われているお品物やイベントの宣伝ポスターが並ぶイラストページと数ページの短編漫画で各階のコーナー(章のようなものです)が構成されています。現実にこんな百貨店がのこっていたら一も二もなく訪れるのに……と、読後に思わずため息をついてしまうくらい、どのコーナーも素敵。

表紙を捲るとあらわれる遊び紙が作中に登場する包装紙の簡易版であったり、レトロなフォントがふんだんに散りばめられていたりと装丁も贅沢です。フォントマニアは文字を眺めているだけでも楽しめるかもしれません。ひと昔前の雑誌やレトロな喫茶店の看板に用いられているようなやや自己主張の強いものから、シンプルながらさり気なくお洒落なものまで、場面に応じて使い分けられていて、美麗なイラストといっしょに目を楽しませてくれます

この作品の着想を得たという大丸心斎橋店は海外の建築家の方がデザインされたそうで、須賀敦子さんがどこかに、良い建築には思想が染みこんでいるものだ、というような趣旨のエピソードを記されていたことをぼんやり思い出しました。そうして完成した建物には、やはり芸術家に一種の霊感を与えるものがあるのでしょう。銀座あたりについつい足を運びたくなってしまいます。

イラストがお好きな方、漫画がお好きな方、デザインやファッションがお好きな方、ショッピングや百貨店そのものがお好きな方、モダンなもの・ノスタルジーを感じさせるものがお好きな方……さまざまなお方におすすめできる1冊です。

当店では、画集・写真集の買い取り大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

『累』―「役者」の物語

さて今回は、一部でひそかに話題となっている漫画(調べてみたところ、2015年度の講談社漫画賞にもノミネートされていた様子)、松浦だるま『累(かさね)』についてお話しようと思います。

『累』は、伝説の女優と謳われる美しい母をもちながらひどく醜い容姿に生まれついた少女・累が、口づけた相手と顔を入れ替える口紅を利用し、罪を重ねながら夢にまでみた女優としての道を歩んでいく物語。

累 8巻 / 松浦だるま / 講談社 / 2016
累 8巻 / 松浦だるま / 講談社 / 2016

その人をその人たらしめる大きな要素のひとつである容姿をころころと変えられるというのは、つまりはその顔によって与えられた一種の運命を変えられる、いくつもの人生を体験できる、ということで、その生き様からは舞台上の役者が想起されます。ただ醜い人物が美しい容姿を手に入れたというだけでは(それだけでもドラマになりはしますが)どこか物足りないところを、累を演劇に執着する少女とすることで、顔を入れ替える口紅と「役者」というキーワードを結びつけ、自然と話に深みを加えた作者の手腕には脱帽。

『ノートルダムの鐘』のカジモドや『オペラ座の怪人』のエリック、『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノのような、「グロテスクの美学」とでも呼ぶべきものは古典的な文学作品に散見されますが、容姿の醜いものの内面が、気高く、あるいは才気にみちて描かれるとき、それを印象づけるために、容姿の美しい者の内面は愚かしく描かれる場合が多いように思われます。天秤の片方に重しを乗せすぎて、もう一方が過剰に軽くなってしまいがちなのです。

『累』の特徴のひとつは、その課題が解消されているところ。たとえば、容姿の醜さから嘲られ貶められてきた累とは対照的に、その美しさから妬みや欲望を向けられ苦しんできた累の異母妹・野菊(累は妹とは知りませんが)には、第二の主役ともいえる立ち位置が与えられています。どちらにも肩入れをしない超然とした視点から綴られる物語は、それだけに差し迫るようなリアリティがあります。

演劇が深く絡んでくるので、『かもめ』や『マクベス』といった戯曲からの引用もしばしば行われ、場面を彩ります。とくに8巻ラストあたりでの、マクベス夫婦の掛け合いと野菊の心情の吐露が交互に出てくるシーンは圧巻。すさまじい疾走感と緊張感が醸しだされており、『累』を読んでいると、作者は演出家でもあるのだということをしみじみ感じさせられます。

また、このようにかなり重いテーマを扱う作品ですが、迷いのないきっぱりした線によって構成される画面はとっつきにくさを感じさせません。漫画という媒体の小説に比べたときの読みやすさも、支持を得ている理由のひとつなのでしょう。これから読んでみようかなと思っていらっしゃる方、まだ巻数もすくないので、今からでもじっくり読みつつ追いかけられますよ!!

当店は、この『累』や、舞台・演劇つながりでは『ガラスの仮面』の買い取りも大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

愛蔵版『モモ』―いまの「わたし」を形作る本

この間、大学の生協でミヒャエル・エンデ『モモ』の愛蔵版を見つけ、衝動的に購入してしまいました。装丁がとても凝っていて、デザインされた方のこの本への思い入れが伝わってくるような贅沢さ。すこしくすんだ赤と黄の色合いといい、外箱表紙の反転した懐中時計とその中心に据えられたカシオペイアといい、眺めているだけで『モモ』の世界観に浸れる出来栄えなのです!!

愛蔵版 モモ / ミヒャエル・エンデ・作 大島かおり・訳 / 岩波書店 / 2001
愛蔵版 モモ / ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳 / 岩波書店 / 2001

はじめて『モモ』を読んだのは(そのときは岩波少年文庫版でしたが)たしか小学校低学年の頃で、その独特の世界観に言いようもなく惹きこまれた覚えがあります。表面上は穏やかにしのび寄ってくる時間泥棒に怯え、変わってしまった友達へのモモの哀しみに同調し……。今でも効率重視的な考え方が苦手なのは、おそらくこの経験からきているのでしょう。

すこし前Twitterで、子どもの頃に読んでいた児童文学で創作の傾向がわかるというような説が話題になっていたようですが、それを聞いてわたしも、心のなかでひとりうんうんとうなずいてしまいました。なにせ、ぱっと思いつくだけでも、この『モモ』に、以前話題に挙げた『赤毛のアン』『星の王子さま』、あさのあつこさんの『No.6』、ロシアの民話『森は生きている』……。『モモ』からは先ほど書いたように効率主義への苦手意識(もしかすると、カメを飼っていたのもカシオペイアへの愛着からかも? )、『赤毛のアン』からは夢見がちな性質、『星の王子さま』からは宝物のような言葉たち、『No.6』からは管理社会への不信感(による、ディストピアもの好き)、『森は生きている』からは自然への親しみと敬意、といった具合に、いっそ自分に呆れかえってしまうくらいストレートに影響を受けていることがわかってしまったものですから……。

CREA 2016年2月号
CREA 2016年2月号

雑誌『CREA』2月号で組まれていた「大人の少年少女文学」特集に巡り合ったりもして(ちなみにこの特集、「児童文学AtoZ」や作中に登場する食べ物のレシピなど盛りだくさん)、なんだか少女時代を懐かしむことの多い今日この頃です。みなさんも、子どもの頃に読みふけった本のことを思い返してみると、思わぬルーツを発見できるかもしれませんよ。ノスタルジーに駆られがちな夏に、風変わりで雄弁な履歴書を眺めてみませんか?

当店では、児童文学やその関連書籍の買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください!!