『累』―「役者」の物語

さて今回は、一部でひそかに話題となっている漫画(調べてみたところ、2015年度の講談社漫画賞にもノミネートされていた様子)、松浦だるま『累(かさね)』についてお話しようと思います。

『累』は、伝説の女優と謳われる美しい母をもちながらひどく醜い容姿に生まれついた少女・累が、口づけた相手と顔を入れ替える口紅を利用し、罪を重ねながら夢にまでみた女優としての道を歩んでいく物語。

累 8巻 / 松浦だるま / 講談社 / 2016
累 8巻 / 松浦だるま / 講談社 / 2016

その人をその人たらしめる大きな要素のひとつである容姿をころころと変えられるというのは、つまりはその顔によって与えられた一種の運命を変えられる、いくつもの人生を体験できる、ということで、その生き様からは舞台上の役者が想起されます。ただ醜い人物が美しい容姿を手に入れたというだけでは(それだけでもドラマになりはしますが)どこか物足りないところを、累を演劇に執着する少女とすることで、顔を入れ替える口紅と「役者」というキーワードを結びつけ、自然と話に深みを加えた作者の手腕には脱帽。

『ノートルダムの鐘』のカジモドや『オペラ座の怪人』のエリック、『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノのような、「グロテスクの美学」とでも呼ぶべきものは古典的な文学作品に散見されますが、容姿の醜いものの内面が、気高く、あるいは才気にみちて描かれるとき、それを印象づけるために、容姿の美しい者の内面は愚かしく描かれる場合が多いように思われます。天秤の片方に重しを乗せすぎて、もう一方が過剰に軽くなってしまいがちなのです。

『累』の特徴のひとつは、その課題が解消されているところ。たとえば、容姿の醜さから嘲られ貶められてきた累とは対照的に、その美しさから妬みや欲望を向けられ苦しんできた累の異母妹・野菊(累は妹とは知りませんが)には、第二の主役ともいえる立ち位置が与えられています。どちらにも肩入れをしない超然とした視点から綴られる物語は、それだけに差し迫るようなリアリティがあります。

演劇が深く絡んでくるので、『かもめ』や『マクベス』といった戯曲からの引用もしばしば行われ、場面を彩ります。とくに8巻ラストあたりでの、マクベス夫婦の掛け合いと野菊の心情の吐露が交互に出てくるシーンは圧巻。すさまじい疾走感と緊張感が醸しだされており、『累』を読んでいると、作者は演出家でもあるのだということをしみじみ感じさせられます。

また、このようにかなり重いテーマを扱う作品ですが、迷いのないきっぱりした線によって構成される画面はとっつきにくさを感じさせません。漫画という媒体の小説に比べたときの読みやすさも、支持を得ている理由のひとつなのでしょう。これから読んでみようかなと思っていらっしゃる方、まだ巻数もすくないので、今からでもじっくり読みつつ追いかけられますよ!!

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