1年ほど前のこと。大衆小説論の講義の最終回、前夜べつの授業のレポートをほぼ徹夜で書き上げた私はうっかり船を漕ぎかけていました(自業自得!!)。と、目の前にぱさりとプリントが。その衝撃ではっと目を覚まし手元に視線を落とすと、そこに印刷されていたのは「ロストハウス」という漫画。
それが私の、大島弓子作品との出会いでした。
なぜ小説の授業で漫画が配られたのかといえば、評論の意義、「その物語(事象)を観測する人間がそれをどう捉えるかによってそれは幸せなものにも不幸なものにもなるのだ」ということを示すためだったのですが、夢中でプリントを読み込みながらその解釈を聴いているうちに、私はすっかりその作品の虜になっていました。
そこで早速、少女漫画に詳しい友人に大島弓子作品のおすすめを訊いてみました。(彼女は、相手の性格・性質を吟味して選んでくれて、本当にはずれがないのです。)すると、「バナナブレッドのプディング」がよいのではないか、とのことで、この作品が私の触れた2番目の大島弓子作品に。
彼女は、私が世間のそれとは違う恋愛観・結婚観に興味を持っているのに合わせてその話を選んでくれたのですが、流石というかなんというか、見事ストライク。その単行本に入っているほかの作品も読んでみて、作者の感性それ自体に惹かれるようになり、「よし、ほかの作品も読むぞ!!」と意気込んだものの、その頃やたらと忙しく、しばらく漫画それ自体から離れる羽目に。
しばらくして、ようやくすこしはゆっくりできるようになり、中野ブロードウェイのまんだらけへ急いで『全て緑になる日まで』(上写真)を購入。この『全て緑になる日まで』には6つの短編がまとめられていて、順に「F式蘭丸」「10月はふたつある」「リベルテ144時間」「ヨハネがすき」「全て緑になる日まで」「アポストロフィS」ときます。どのタイトルも不思議で魅力的、作中のやわらかくも独特で心にすっと入ってくる台詞回しといい、この方の言葉選びは誰にも真似できませんね。
そして、巻頭の「F式蘭丸」。ネタバレになってしまうといけないので詳しい内容は書けませんが、主人公・よき子の、たえず変化してゆく周りに取り残されるさみしさ、もう戻らないものへの哀惜は、一度でも同じものを味わったことのある人にはじくじくと痛みを伴って思いだされるものでだと思います。けれど、その痛みを真綿で包み込んでくれるように話の結末はやわらかくやさしくあたたかく、大島弓子作品が読者を惹きつけてやまない大きな理由である、異端で孤独なものたちへの愛情が感じられるのでした。
当店では、大島弓子作品の買い取り大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください。