「中島らも」「4時ですよ〜だ」「メンバメイコボルスミ11」にピンと来たら。岸政彦・柴崎友香『大阪』

中島らも、4時ですよ〜だ、阪神大震災、千日前、、、大阪のあの時代・あの場所を追体験しつつ、誰の人生にもある、けど普段は奥にしまっているような心の機微を思い出させてくれるエッセイです。

『大阪』(岸政彦 柴崎友香/河出書房新社/2021年)

社会学者・小説家の岸政彦さんと、小説家の柴崎友香さんの共著です。
進学で大阪に移り住み以降ずっと大阪在住の岸さんと、大阪で生まれて30歳を過ぎてから大阪を出た柴崎さん。大阪への思いを綴った両者のエッセイが交互に続く1冊。とても読みやすく、風景や人々、そして著者の心情が分かりやすく伝わってきます。

とくに柴崎さんのエッセイにビシバシとシンパシーを感じました。大阪の工業地帯に生まれ、80〜90年代関西カルチャーに浸かった青春を過ごした柴崎さんのエッセイには、「中島らも」「4時ですよ〜だ」「メンバメイコボルスミ11」「テアトル梅田」といったワードがちらほら。
私は柴崎さんと世代が違ううえに出身も関西ではないため、後追いで知った憧れのワードです。
大阪の工業地帯の商店街、自転車で向かう2丁目劇場、ミニシアター、ライブハウス、大丸など、読むだけで憧れの場所と時代を追体験できるような楽しさがあります。

都市への思い。そこにいる人への思い。街はそのまま人と重なり合う。人が街をつくり、街は人を育てる。
感情は一筋縄ではいかないものです。0か100では図りきれない。過去は憧憬や感傷だけじゃなく、家族も親愛や情愛だけじゃない。好きも嫌いもそれ以外も全部ふくめた上で、対象のことを思っている。

大阪出身で、大阪で心が彩られるような幸せな場面があったからこそ、大阪に異議を唱えたくもなる。柴崎さんの大阪への思いを読んで、ジョン・レノンの名言「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ」を思い出しました。

柴崎さんは愛憎を正直に書き表すことで、真摯であろうとしているように思えました。「この人のエッセイは信頼していい」と感じ、そのことがとても嬉しくなりました。信頼できる作家さんに出会えることは嬉しいことです。

小川雅章さんのカバーイラストも最高です。

かわいらしく、想像をふくらませる名タイトル! 遠藤寛子『算法少女』

実在する「算法少女」という江戸時代の書物は、とある父と娘により書かれた和算(当時の日本の数学)の書。この「算法少女」に着想を得た著者による、同じ「算法少女」というタイトルをつけた少年少女むけの時代小説です。児童文学なのでとても読みやすく、学問に打ち込むことの豊かさを感じることが出来ます。

『算法少女』(遠藤寛子/ちくま文庫/2006年)

 

個人的には、作中に出てくる数式で謎をとくような、数学ミステリ的からくりがあればさらにワクワクするストーリーになったかもと思いましたが、江戸人情にあふれているとてもいい物語です。江戸の町の楽しさだけでなく、宗派によって学問が分断されることや、育ち・身分で人間が分断されることの悲しさも自然に描かれます。主人公のあきが、屋敷通いの指南役でなく市井の塾講師を選ぶことで、本当に豊かであることとは何かを教えてくれます。

『算法少女』(遠藤寛子/ちくま文庫/2006年)

文庫版あとがきに、この小説版「算法少女」復刊をめぐる経緯が書かれているのですが、そのリアルストーリーが、本編のフィクションと重なるような不思議さを感じます。江戸期代に「算法少女」をしたためた娘とその父。本編の主人公あきとその父、そして著者とその父。3組の親子が、時空とフィクションの壁を超えてひとつに重なるのです。事実は小説より奇なりと言いますが、まさに小説になるような奇跡にため息がもれました。

男らしさ云々より、とりあえず霊長類ってオモロい! 山極寿一『ゴリラに学ぶ男らしさ』

実際この本で「男らしさ」はつかめませんでしたが、「推しの霊長類」ができて動物園がより楽しくなります。※ちなみに私の推しはオランウータン、ボノボ、キツネザルです。

『ゴリラに学ぶ男らしさ』(山極寿一/ちくま文庫/2019年)

あらかじめ帯文等の内容紹介を読んだところ、この本は私にとって関心がある「男性学」や「男の生きづらさ」に触れた社会学的な本ではないかと思い、だとしたら皮肉が効いたいいタイトルだなあという好感もあり手に取りました。

しかし蓋をあけてみると、私たち人類の男の根源である霊長類のオス達の生態がほとんどで、もう9割がた動物記です。しかしその霊長類の生態こそが私を惹きつけてやみませんでした。ひとくちにサルと言ってもこんなにバラエティに富んだ生態なのかとワクワクが止まりません。メスとの関わり方、子供との関わり方、どこに居をかまえ、どうやって群をなし、群れの中はどんなパワーバランスなのか…。ゴリラ、チンパンジー、ニホンザル、ヒヒ、キツネザル、その他多くの霊長類によって千差万別な暮らしぶりを知るたび、人間との共通点を見つけて親近感が湧いたり、人間社会では考えられない習慣にびっくりしたり。

しかしそれらが私たち人間と分断されたものではなく、繋がっていることを感じます。人間の男もドラミングこそしないけれど周囲に男らしさをアピールする仕草はあるのです。サルが人類に進化していく上で変化した行動、残した本能、捨てた習慣、多様化させた社会構造、人類オリジナルの限りない発情……さらにそこから人間は多様な個人差、文化的差異があるわけで。最終的には人間そのものだって引けを取らないぐらい不思議な存在なのだと気づきます。つくづく生物学は生物を通して人間そのものを知る学問なんだなと思います。

ちょっとガッカリだった所については、最後にやっと現代を生きる男にフォーカスして男らしさを論じるパートがあるのですが、結局は旧来の男らしさこそを正しいとするような論調のように思えてしまい、私の考えとは相容れなかったという点です。最後の最後にちょっと残念な気持ちになってしまいましたが、そのガッカリを差し引いて余りある面白さでした。「男らしさ云々はいったん傍に置いといて、霊長類オモロい!!!」ってなります(笑)。感情移入するあまり、推しの霊長類も出来てしまうくらいです。動物園のお猿さんコーナーが楽しくなりますよ。

孤立が先か、ため込みが先か。笹井恵里子『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』

生前・遺品整理業者で実際に3年間はたらいたジャーナリスト・笹井恵理子さんによるルポです。内容は、壮絶なゴミ屋敷の整理体験記、「ためこみ症」に対する医師や専門家の見解、本人や家族へ向けた具体的な解決案、整理業者ではたらく方の心情など。構成もわかりやすくあっという間に読み終わりました。悪徳整理業者の見分け方まで書かれており、細やかさに好感が持てます。

『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(笹井恵里子/中公新書ラクレ/2021年)

ゴミ屋敷に住む人・住んでいた人に偏見の目を向けるのではなく、住人の再起を願う笹井さんの優しい目線を感じます。迷わずおすすめできる本です。

ゴミ屋敷主人の人生を描いた橋本治さんの小説「巡礼」を読み、ゴミ屋敷に住む人間の心理に興味がわいたところに、この「潜入・ゴミ屋敷」が話題になっていたので迷わず手に取りました。読んでいてあまりに自然に「巡礼」の主人公の描写・心情とぴったり符号するので驚きました。

現場ルポは本当に壮絶です。死臭、虫、大小便、亡くなった遺体の痕跡の描写が、読んでいて自分の顔が歪んでいるのが分かるほどに。住人の孤独の痛ましさをリアルに物語ってくれます。
帯に「こんな家に住んでいると、人は死にます。」とありますが、これはけして煽り文句ではないことが読めば分かります。

ものをためこみ過ぎて日常生活や社会生活に影響をおよぼしてしまう「ためこみ症」は2013年に精神疾患として定義されました。
そもそも「ものを必要以上にためこむ」という行動自体は他の疾患にも見られるようです。ADHDは整理整頓が不得意であったり、うつであれば整理・処分する気力がない。認知症の場合はなにを所有しているかを忘れてしまう。統合失調症は「これを処分すると大変なことになる」という妄想、、、それらがきっかけでためこみ行動が起きるとされています。
上記の疾患と区別される「ためこみ症」は、人間関係の強烈な喪失体験(大切な人との死別や離婚その他)がきっかけとなり、ものをため込むことで喪失した部分を埋めようとする病気だそう。ためこんだものが自分の一部のように感じられるため、処分することに苦痛を伴うとのことです。

ゴミ屋敷の住人は、社会あるいは人とつながれなかったからためこみ行動に出てゴミ屋敷をつくりあげてしまったのか。それともゴミ屋敷になってしまったから周りから孤立してしまったのか。どちらが先かはわかりませんが、行政でもご近所さんでも友人でも、なにかしら「だれかと繋がること」がゴミ屋敷から脱する手がかりになることが分かりました。

最後に笹井さんは、コロナ以降の孤立をふせぐためには「"弱くゆるい人間関係"が大事」と書かれています。やはり昨今の社会のあり方におけるキーワードですね。肝に銘じます。

余談:「SM系エロ本」を大量にためこんでいた現場のルポで、大学教授にためこみ行動とSM趣味の心理的な関係をたずねていたところは、不謹慎ですが少し吹き出してしまいました。

ゴミ屋敷主人は、また歩みだす。 橋本治『巡礼』

ゴミ屋敷に住む独居老人。彼がなぜ他人を寄せつけず、ゴミを集めるようになったかが描かれた小説。

ゴミ屋敷のご近所さんの人間模様が描かれる1章、ゴミ屋敷の主人がなぜそうなってしまったのかを過去から辿る2章、そして主人が自分を取り戻しはじめる3章で展開されます。

いち凡庸な青年のいたって普通な人生が、戦後社会の変貌、価値観のゆらぎ、人間関係のトラブルなどの小さなつまづきから、少しずつしかし確実に歪んでいく様がスリリングでした。胸が痛くなりつつもページをめくらずにいられない面白さです。

固執というものは、一見それと関係がなさそうなところに因果があるかもしれません。ゴミ集めでなくても、自分の中の偏執的な部分を紐解くと、フタをしていた「理由」がきっと見えてきます。それを見つけること、見つめることはとても恐ろしいですが、私個人としても今後の人生の中でトライしていきたいことの一つです。自分自身を知ることや考えることを諦めて、生きることが「作業」になってしまわないように。