2000日のヒマか、2000日の業か? 上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』

仕事をやめた日から約2000日のあいだ、懇意にしている相手宅の一畳半の物置部屋で暮らし、働かずに(雑誌の大喜利コーナーへの投稿・採用で月数万ほどの報酬あり)過ごした著者の実話です。

『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』(上田啓太/河出書房新社/2022年)

帯には「衝撃のドキュメント」とありますが、自分を見つめる哲学エッセイ然としていてそこまで衝撃的ではありません。日記形式であれば日々考えが傾いていくさまがスリリングに追体験できたかもしれませんが。

仕事をやめた直後の開放感を味わいつつも早い段階で不安で鬱々としだす著者。図書館に通い読み漁った本の中から「自動思考」という概念に出会い取り入れます。そこが著者にとってのターニングポイントであったと思います。

そしてこの本の最初の山場であり著者の一番の奇行なのですが、ありあまる時間を使って、PCソフトで自分の記憶をデータベース化し始めます。最初は蔵書ソフトに読んだ本を登録していたのですが、今まで聞いたCD、遊んだゲームと拡大していき、しまいにはネット上にデータのない子どもの頃に着ていた服や遊んだオモチャ、学生時代のクラスメイト(このために実家から卒業アルバムを送らせる!)や今まで出会った人々を、PC上に仔細に記録していく。

自動思考という気づき、記憶のデータベース化を通じてどんどん自分を客観視していく著者。後半は現実感の喪失から現実はすべて幻想というフェーズに突入し、自己流マインドフルネスを取り入れ、人間関係や感情に振り回されることから距離をとり、知覚のみになろうとする過激な純化が進んでいく、、、と書くとなんとなく達観した解脱者のような高貴なイメージがあるけれど、個人的にはホント失礼かもですが「やや厨二病めいた知的な試み」のように感じました。終盤の章のラストを「私は、地球上でずっと一人芝居を続けている。」の一行で締めくくられた時は、うーんちょっと辟易してしまいました笑 私も2000日やすめば、この文に深く共感できるのかもしれませんが…。

幻想に参加しないことが「純粋」であると言っているようにも感じますが、私は共感できません。幻想だ、一人芝居だと分かりつつもその幻想に無理なく参加している人達もけして少なくないように思います。ある程度脳が発達した動物は、それぞれの幻想に参加して生きているのではないかと私は考えます。

最後は2001日目を迎える、要は仕事が決まるのですが、これまでの2000日間と2001日目のあいだにグラデーションがなく、急にスッパリと、ほのぼの日常気分の文章で早々に締めくくりだったので面食らいました。「案外そんなものだよ」ということ?もしくは2000日間の自分を「あんな頃もあったな」とさらに一歩外から客観視しているのかもしれません。2000日目と2001日目のあいだの機微がもっと知りたかったです。

おいしさは、五感だけで感じるものじゃないかも。玉村豊男『料理の四面体』

このごろ「実用的でない料理本」というのが好きで。料理が自分のライフスタイルや思想に与える影響、原始から続く料理という運動が、どんな歴史をたどって、世界にどんな影響を与えたか等に興味があり、色々本を漁るうちに『料理の四面体』と出会いました。

『料理の四面体』(玉村豊男/中公文庫/2010年)

この本を読んでも、包丁さばきがうまくなるわけでも、火加減の調整が適切になったり、盛り付けセンスが磨かれるわけでもありません。実用的な料理指南書やレシピ集ではないですが、「料理は単純な原理で成り立っていながら、無限の可能性がある」というメッセージを伝えてくれます。

他方で得た知見がまったく無関係の分野と結びついたりする、そんな瞬間こそが私の生きる喜びのひとつ。料理で得た経験がマラソンに活きることや、農業のノウハウが油絵に活きること、暗算がロッククライミングにいきることもあるかもしれないと思うだけで人生は楽しい。だから自分の生活に直接役に立ちそうにない本の方がワクワクします。

本書ではまず世界のあらゆる料理が紹介されます。フィレンツェのビステッカとか、コトゥレット・ド・ムトンとか、いかにも美食家が好みそう料理名が頻出する上にとても文学的な表現もあり、グルメ評論アレルギーがある人にとっては、著者がうっとり自己陶酔しつつ書いたように感じて鼻につくかもしれません。

最初こそ気取ったグルメエッセイのような印象でしたが、少しずつ確実に、私たちは著者が導き出したある一つの論理に一歩一歩と近づいていきます。高級フレンチも、アルジェリアの野外で野蛮に作られたシチューも並列に語り、目玉焼きもスクランブルエッグもオムレツも「卵の油いため」という点で同じ料理だとする大胆さをもって、紙上・世界グルメツアーは展開していきます。スープとシチュー、果てはサラダと刺身の境界線もぼやかせる力技にクラクラしながら読み進めていくと、最終章でついにモノリスにたどり着きます。

それがタイトルの「料理の四面体」です。

食材⇆媒介(水、空気、油)⇆火

という関係性を暴き出したのです。料理の工程を分解し、四面体(三角錐)の立体チャートにあらわす。頂点に火、底面の三点は空気、水、油。この世にある料理をその四面体チャート状の座標ですべてあらわすことで、調理の原理を解き明かしたものです。

『料理の四面体』(玉村豊男/中公文庫/2010年)

逆に言えば火を使い、水、空気、油をどの程度か媒介させれば、それはもう「料理」と言いきれてしまうというコペルニクス的転回が起こるのです(生食は除く)。世界中に料理は数多あるけれど、調理の本質は基本的に変わらないということと同時に、そのチャート上にまだ誰も見つけてない一点の座標、つまりまったく新しいレシピが隠されているかもしれないといったロマンも感じます。

こういった本を読むたびに思うのは、おいしさというのは、五感からのみ感じるものではなくて、その調理の工程などに思いを馳せることからも感じるのかもしれないと思います。その食材の生産地の風土のことを想像したり、生産者の顔を思い浮かべたりすること(野菜コーナーに農家の名前と写真が添えられていますよね)、伝統を感じること、思い出と結びつけることなど、五感以外の「気持ちのおいしさ」があるのだろうと。

コロナ禍以降、アップデートされた孤独観。岸見一郎『孤独の哲学』

古来さまざまな哲学者によって語られてきた孤独の受け止め方から、コロナ禍以降の現代の孤独をどう乗り越えていくか、そしていつか必ずやってくる絶対的な孤独・死をどう見つめるか…

日本のアドラー研究の第一人者であり、「嫌われる勇気」がベストセラーとなった岸見一郎さんの、2022年版アップデートされた孤独論です。三木清の著作から多く引用されています。

『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(岸見一郎/中公新書ラクレ/2022年)

自分軸をもちながら、傷つくことを恐れず、仲間だと感じられる人と関係を気づいていくこと。未来も死も、「先のことはわからない」という点で同じであるならば、やはり今にスポットを当てて生きなければならないこと。好きでやりたいことがあり、やらなければ気が済まないことならば、他人の評価を気にせずやること等、あらためて大事だと感じられるメッセージがあります。

とくに頭にのこったのは、岸見さんと彼の父親とのエピソード。最初はうまくいってなかった関係が、介護を通じて向き合いながら、お互いに作用しあって信頼し合えるようになるまでの模様が淡々とリアルに描かれています。この岸見さんと父親との関係で一冊エッセイ書いてくれると嬉しいなあ。

世間信仰・同調圧力に疲れたら、孤独に癒やされよう。鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』

テレビでもお見かけする劇作家・鴻上尚史さんの本を読みました。

『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史/だいわ文庫/2011年)

舞台人として世に出た鴻上さんですが、「生きづらさ」に関する著作も多く、この作品もタイトルの通りその類です。
孤独とはどういったものか?孤独をどう受け入れて生きていくべきか?を教えてくれる本です。

タイトルに「レッスン」とあるために、そういった自己啓発系のハウトゥーものであるようなイメージがありますが、明らかにそのような本とは質感が違います。
勿論それらの本と似たようなメッセージは書いてありますが、けして学術的なセオリーに沿ったような感じではなく、鴻上さんの体験したことを、鴻上さんの気持ちで、鴻上さんの言葉を使って書かれているのが分かります。この本を通じて読者に語りかけよう、思いを伝えようとする鴻上さんの意思を強く感じます。それゆえにハウトゥー本とはまた別種の説得力に満ちています。

鴻上さんの視点による、あらたな気づきもありました。無宗教である日本人は、「世間」を信仰し、現代ではその世間信仰も半分壊れていると(本文中ではもっと丁寧にページを割いて表現されています)。それゆえ同調圧力によって日本は行きづらい国であると。この考えは鴻上さんの他の著作でもたびたび出てきます。

孤独の中でこそ、じっくりと自分を見つめ、自分の考えや思いを育てることができる。孤独にもそんな希望を孕んたものがあると教えてくれました。いつかこの本をもう一度読み直したくなる時、それはきっと何かしら心が疲れている時だろうと思いますが、この本に寄り添ってもらえればまた少しずつ自分を取り戻せることと思います。

ついつい虚空をほおばりたくなる。西條奈加『まるまるの毬 』

作中の和菓子が、読んでいるだけでなんとも美味しそうで思わず虚空をほおばりたくなります。

『まるまるの毬』(西條奈加/講談社時代小説文庫/2017年)

江戸の街で家族3人が切り盛りする小さな和菓子屋を舞台にした、人情あふるる時代小説です。

とても読みやすく、かつ過度に説明的でなく、情景や表情、しぐさで心情を語ってくれるきれいな文章です。和菓子のおいしそうな表現も素晴らしいですし、町人たちの気さくさ、子供のけなげさ、職人の矜持、武士家系の苦悩などがそれぞれ互いに作用しながらドラマが展開され、物語として読み応えもあります。

章ごとに1個の和菓子がピックアップされるのですが、その和菓子が人と人をつないだり、気持ちを代弁したりとドラマに彩りを添えます。主人公がつくるまんじゅうや餅、せんべいなど様々な和菓子の上品かつ親しみやすい佇まいが、そのまま主人公家族を表していて微笑ましいです。

個人的には時代小説を読むのは初めてでした。本屋で表紙の大判焼きの絵を見た時、自分の甘いもの好きな性分から思わず手を伸ばしたのがきっかけでしたが、よい時代小説デビューであったと思います。

調べてみると作者の西條奈加さんは、いわゆるかっちりとした重厚な時代小説というよりは、ファンタジー色の強い「江戸ファンタジー」な作風のものや、現代ものも手掛けているらしく、それらのものも気になりました。もちろん今作の続編である「亥子ころころ」もチェックします。