ゴミ屋敷主人は、また歩みだす。 橋本治『巡礼』

ゴミ屋敷に住む独居老人。彼がなぜ他人を寄せつけず、ゴミを集めるようになったかが描かれた小説。

ゴミ屋敷のご近所さんの人間模様が描かれる1章、ゴミ屋敷の主人がなぜそうなってしまったのかを過去から辿る2章、そして主人が自分を取り戻しはじめる3章で展開されます。

いち凡庸な青年のいたって普通な人生が、戦後社会の変貌、価値観のゆらぎ、人間関係のトラブルなどの小さなつまづきから、少しずつしかし確実に歪んでいく様がスリリングでした。胸が痛くなりつつもページをめくらずにいられない面白さです。

固執というものは、一見それと関係がなさそうなところに因果があるかもしれません。ゴミ集めでなくても、自分の中の偏執的な部分を紐解くと、フタをしていた「理由」がきっと見えてきます。それを見つけること、見つめることはとても恐ろしいですが、私個人としても今後の人生の中でトライしていきたいことの一つです。自分自身を知ることや考えることを諦めて、生きることが「作業」になってしまわないように。

「セルフビルド」は単なる建築様式ではなく、精神のあり方。石山修武・中里和人『セルフビルドの世界 家やまちは自分で作る』

もともと9坪ハウスを可愛いと思っていて、先日、鴨長明「方丈記」やソロ―「森の生活」を知ってセルフビルドやスモールハウスへの興味再燃、そのタイミングでこの書籍と出会いました。

『セルフビルドの世界 家やまちは自分で作る』(石山修武、中里和人/ちくま文庫/2017年)

松浦武四郎の一畳敷や、基礎工事なしの住居、自作キャンピングカー、トタンでできたバーから、果てはホームレスの移動式住居、庭や玄関にアレな感じのオブジェが乱立する偏執的アウトサイダー・アートな家まで、様々なセルフビルドを紹介した本です。

けしてスモールハウスや自作建築のカタログではありません。もっと観念的にセルフビルドを捉えた本であり、そういうものだと分かった上で購入しました。あえて言うなら、「セルフビルド精神を持った人たち」のカタログです。アカデミックだったりフリーキーだったり、硬軟織り混ぜてサブカル的に楽しめる方に良いかと思います。

長期に渡って連載されていたものらしく、ネタ切れを防ぐためか「セルフビルド」の解釈をやや拡大させて「建築」から外れたカテゴリのものも取り上げています。

以下、心に残った部分を引用します。

建築家である著者にとって、
"セルフビルドとは自己構築である。まず何よりも自分世界を構えようとする意志なんである"とのこと。
理想的には"アマチュアが寄り集まって集団で、現在の市場経済とは別のシステムでモノを作ること"

"家は最大級の商品であるから銀行から多額の借金をして、それでほぼ一生かけてその返済をするものだとも考えている。誰もそれを疑わない。新興宗教のようにそれを信じている。(中略)一生をかけてそれに帰依するのだから、家は新種の神の似姿のようになっている"

※ 引用符内はすべてちくま文庫「セルフビルドの世界 家やまちは自分で作る」(石山修武 著)より引用

生物学と哲学をシームレスにつなげる、日高先生の軽やかさ。日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』

動物行動学者・日高敏隆先生による、動物行動学と自身の経験から得た「世界の見つめ方」を説いた本です。とても読みやすいエッセイ形式であり、最後には講演が収録されています。

『世界を、こんなふうに見てごらん』(日高敏隆/集英社文庫/2013年)

著者の日高先生は動物行動学者ですが、著作にふれるたびに科学者的ではなくてエッセイスト的だなあとつくづく感じます。学術的でなく文芸的な表現です。

学会みたいな肩肘張った場所から離れた、軽やかで柔らかな日高さんの姿勢に憧れます。日高さんは科学的な理屈の世界に埋没せず、子どもの頃のシンプルな「なぜ?」を大事にし、そのせいで権威的で格式を重んじるような場所では異端だったことでしょう。しかし、だからこそ万人が気軽に読めるようなエッセイで自分の考えを人に届けることができるのだと思います。

人類学系の本によく登場するトピックに「宗教と科学」があります。今のように科学が進歩する前は、人間に分からないことは全部「神のお考え」であって、変に理屈をこねずに済ませていたのです。しかし科学の進歩と引き換えに宗教の力が弱くなった今、頼るべき道徳的規範となる神を失くした多くの人たちは、心の支えがないために悩みが多くなってしまいました。しかし悩み多けれど、神と科学、どちらにもしがみつかずに自らの知性を力にして生きていくことが今後の人間のテーマだと日高先生は語ります。胸にささる言葉です。

ほかの方の動物や虫の本を読んでも思うのですが、動物学は動物を通して「人間とはどんな生き物か、人間社会とはどんなものか」を探りたいという欲求が根本にあるのだなとつくづく感じます。

「独居老人」のイメージをブチ壊す、特濃人生の大先輩たち。都築響一『独居老人スタイル』

『独居老人スタイル』(都築響一/ちくま文庫/2019年)

「独居老人」のイメージを爽快にブチ壊してくれる最高の聞き書き・ルポです。読後、むしろ独居老人を羨ましく思えました。

独居老人への「かわいそう」「寂しそう」みたいな、勝手にこちらが抱いてるイメージを覆す、一人暮らしをエンジョイしまくる人生の大先輩達が次々に登場します。芸術家、パフォーマー、エスニック雑貨屋、道化師、流し、バーテンダー、漫画家、etc。皆さんクセが強いのですが、パワフルな人も慎ましい人も、みんな全力で楽しんだり何かに打ち込んでいる。打ち込めるものがあれば何歳でも楽しく生きられるという実例が詰まっています。

読み進めるうちに世間体や同調圧力、人間関係の義理やしがらみから解放された、独りという無限の自由が羨ましく思えます。この本の中の人々のように老い、生きたいと切に願います。
老いる勇気をもらえる一冊です。

モンシロチョウは紫外線の夢を見るか?―日高敏隆『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』

人間以外の動物たちが、どのように自分の周りの世界を知覚し認識しているのかを興味深く知ることができる前半と、人間がいかに倫理的な(つもりの)枠のなかで世界を捉えているかを、生物学から哲学へと枠をまたぎつつ気づかせてくれる後半で構成された一冊です。平易で読みやすい文体でした。

『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』(日高敏隆/ちくま文庫/2007年)

動物行動学者である著者が、「環世界」「イリュージョン」をキーワードに人間・動物がいかに世界を構築するかを説きます。

同じ環境にいても知覚能力に差があれば、まったく違う世界になる。紫外線を見ることができるモンシロチョウは、人間とは違う風景を見ていることでしょう。視覚は微弱でも嗅覚がするどい動物は、嗅覚をメインに世界を構築するでしょう。でも、嗅覚で世界を構築するって何だろう?人間には想像すらできません。そんな興味の途切れない不思議さを味わえます。生き物はすべて、それぞれが知覚できる範囲でしか世界を切り取れないし、本能や行動様式に沿った形で都合よくものごとを選びとって世界を認識しているのだなという気づきもありました。

そして後半部を読みながら「人間は他の動物より優れている」という無意識に付け上がったようなところが自分の中にあったことに気が付きました。「あらゆる生物のなかで人間こそが唯一 "客観的に" 世界を捉えている」「人間が真理に一番近いところにいる」となんとなく思っていたかも、と…

本書の最後に著者は「学者や研究者はいったい何をしているのだと問われたら、答えはひとつしかない」と語り、著者が導き出した答えがなんともユーモラスで思わず息がもれました。とても味わいのある読後感はこのオチのおかげかもしれません。おすすめです。

 

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