「ずっと避けてきてごめんなさい」と、獅子文六先生に謝りたいです。獅子文六『青春怪談』

獅子文六の作品は長いあいだ絶版となっていましたが、近年再評価の流れで一気にその名を知られるようになりました。ちくま文庫のポップな装丁も手伝ってか特に若い層に評判は広がり、一時期ヴィレヴァンの文庫本コーナーで頻繁に見かけたことを覚えています。

ミーハーなのに通ぶりたい人間の典型であった若い頃の私は、このポップかつサブカル受けしていたであろう獅子文六作品を、無視できないくせに避けていました。しかも目に飛び込んできたタイトルが「コーヒーと恋愛」。このタイトルだけでウヒーとむず痒かったのです(正直今でもむず痒さはゼロではないです)。若い時分はもっとコアなものを求めていたのですが、それはとても浅はかで愚かな考えだったと思います。

先日ひさしぶりに獅子文六の名を本屋で見かけ、経年とともに多少は自分の愚かさもマシになったのか、自然と手が伸びました。そしてこの「青春怪談」と出会ったのです。とても面白い小説で、この出会いを逃していた若い頃の自分はやはり愚かであったと反省しました。古臭さは一切感じず、むしろ現代にフィットする内容に驚きました。

『青春怪談』(獅子文六/ちくま文庫/2017年)

ストーリーの大筋は、一時期のTVの昼ドラのように愛憎入り乱れた恋愛ものとも言えますが、けしてドロドロとしていません。いかにも純文学な堅苦しさもなく、ユーモラスで飄々とした作風でスッキリと読みやすいです。戦後日本のレトロモダンな雰囲気もありますが、過剰でなく、必要以上に装飾的ではありません。現代との差を感じない普遍的な人間の生活や情動を描いています。

ビー玉が斜面を転がるような読みやすさですが、時にピタリと目が留まり、ため息がでるような胸を打つ文章表現もあります。感嘆のあまりうめきながら本を閉じ、一時のあいだうずくまってしまったほどです(本当に)。獅子文六を避けていた若き自分を呪いました。以下に抜粋します。

”厭世は、大事件である” (208p)

バレリーナの千春が困難にぶつかり深く落ち込み、鬱状態にある場面の一文です。鬱状態にあると自分自身も含め、世の中がどうなっても構わない気持ちになります。それは確かに自分の世界を揺るがす、文字通り「大事件」なのです。仕事や家事より、何よりも優先して心を配らなければいけない一大事なのです。自分の内なる声を無視するのでなく、「これは大事件だ」と自分の声に耳を傾ける必要があるのです。シンプルですが力強く励まされるように響く一文でした。

また、千春を慕う後輩バレリーナの藤谷新子が、千春のボーイフレンド・慎一に嫉妬の炎をあげるシーンでもため息が出ました。以下抜粋。

”慎一が、無比の強敵であることを、彼女は、よく知ってる。第一に、彼は、男性である。つまり、官軍である。その上、稀代の美男子ときている。錦の御旗を掲げた、水爆機の如きものである。これに対する彼女は、ただ熱情と献身の竹槍しかない”(211p)

”ただ熱情と献身の竹槍しかない” ときた!なんて憎らしいぐらいに上手い表現なんだろう。絶対に勝てない、愚かな挑戦であることが伝わりますし、「熱情と献身」イコール「竹槍」という比喩が膝を打つほど絶妙です。実際に戦中の日本で、国民が竹槍でB29爆撃機を撃墜しようと練習していた史実も連想され、藤谷新子の不憫さを表現するのにこれ以上のものはないとすら思えます。

また獅子文六は、この作品のテーマのひとつとしてジェンダー論にも果敢に触れています。それが現代的に正しいかどうかは置いておいて、1950年代に新聞連載の小説で取り上げるのはかなり新鋭的だったのではと思います。

巻末の付録記事のなかでやたら「新聞小説、新聞小説というけど、普通の小説と変わらない」という獅子文六自身の言説が頻繁に出てきます。新聞連載の多かった獅子文六は、「新聞小説」と揶揄されることがよっぽど疎ましかったのだろうなと思います。大衆的だと軽視されていたこともあったのかもしれません。獅子文六を軽んじていた若い頃の私に言われているようで、最後にあらためて反省しました。

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投稿者:

店員T

基本なんでも広く浅く。たまに楽器も触ります。