コロナ禍以降、アップデートされた孤独観。岸見一郎『孤独の哲学』

古来さまざまな哲学者によって語られてきた孤独の受け止め方から、コロナ禍以降の現代の孤独をどう乗り越えていくか、そしていつか必ずやってくる絶対的な孤独・死をどう見つめるか…

日本のアドラー研究の第一人者であり、「嫌われる勇気」がベストセラーとなった岸見一郎さんの、2022年版アップデートされた孤独論です。三木清の著作から多く引用されています。

『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(岸見一郎/中公新書ラクレ/2022年)

自分軸をもちながら、傷つくことを恐れず、仲間だと感じられる人と関係を気づいていくこと。未来も死も、「先のことはわからない」という点で同じであるならば、やはり今にスポットを当てて生きなければならないこと。好きでやりたいことがあり、やらなければ気が済まないことならば、他人の評価を気にせずやること等、あらためて大事だと感じられるメッセージがあります。

とくに頭にのこったのは、岸見さんと彼の父親とのエピソード。最初はうまくいってなかった関係が、介護を通じて向き合いながら、お互いに作用しあって信頼し合えるようになるまでの模様が淡々とリアルに描かれています。この岸見さんと父親との関係で一冊エッセイ書いてくれると嬉しいなあ。

世間信仰・同調圧力に疲れたら、孤独に癒やされよう。鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』

テレビでもお見かけする劇作家・鴻上尚史さんの本を読みました。

『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史/だいわ文庫/2011年)

舞台人として世に出た鴻上さんですが、「生きづらさ」に関する著作も多く、この作品もタイトルの通りその類です。
孤独とはどういったものか?孤独をどう受け入れて生きていくべきか?を教えてくれる本です。

タイトルに「レッスン」とあるために、そういった自己啓発系のハウトゥーものであるようなイメージがありますが、明らかにそのような本とは質感が違います。
勿論それらの本と似たようなメッセージは書いてありますが、けして学術的なセオリーに沿ったような感じではなく、鴻上さんの体験したことを、鴻上さんの気持ちで、鴻上さんの言葉を使って書かれているのが分かります。この本を通じて読者に語りかけよう、思いを伝えようとする鴻上さんの意思を強く感じます。それゆえにハウトゥー本とはまた別種の説得力に満ちています。

鴻上さんの視点による、あらたな気づきもありました。無宗教である日本人は、「世間」を信仰し、現代ではその世間信仰も半分壊れていると(本文中ではもっと丁寧にページを割いて表現されています)。それゆえ同調圧力によって日本は行きづらい国であると。この考えは鴻上さんの他の著作でもたびたび出てきます。

孤独の中でこそ、じっくりと自分を見つめ、自分の考えや思いを育てることができる。孤独にもそんな希望を孕んたものがあると教えてくれました。いつかこの本をもう一度読み直したくなる時、それはきっと何かしら心が疲れている時だろうと思いますが、この本に寄り添ってもらえればまた少しずつ自分を取り戻せることと思います。

ついつい虚空をほおばりたくなる。西條奈加『まるまるの毬 』

作中の和菓子が、読んでいるだけでなんとも美味しそうで思わず虚空をほおばりたくなります。

『まるまるの毬』(西條奈加/講談社時代小説文庫/2017年)

江戸の街で家族3人が切り盛りする小さな和菓子屋を舞台にした、人情あふるる時代小説です。

とても読みやすく、かつ過度に説明的でなく、情景や表情、しぐさで心情を語ってくれるきれいな文章です。和菓子のおいしそうな表現も素晴らしいですし、町人たちの気さくさ、子供のけなげさ、職人の矜持、武士家系の苦悩などがそれぞれ互いに作用しながらドラマが展開され、物語として読み応えもあります。

章ごとに1個の和菓子がピックアップされるのですが、その和菓子が人と人をつないだり、気持ちを代弁したりとドラマに彩りを添えます。主人公がつくるまんじゅうや餅、せんべいなど様々な和菓子の上品かつ親しみやすい佇まいが、そのまま主人公家族を表していて微笑ましいです。

個人的には時代小説を読むのは初めてでした。本屋で表紙の大判焼きの絵を見た時、自分の甘いもの好きな性分から思わず手を伸ばしたのがきっかけでしたが、よい時代小説デビューであったと思います。

調べてみると作者の西條奈加さんは、いわゆるかっちりとした重厚な時代小説というよりは、ファンタジー色の強い「江戸ファンタジー」な作風のものや、現代ものも手掛けているらしく、それらのものも気になりました。もちろん今作の続編である「亥子ころころ」もチェックします。

プロ棋士が自分をとりもどすまでの闘病記。先崎学『うつ病九段』

プロ棋士の先崎学さんが、2017年にうつを発症し、回復するまでの一年間の闘病記です。

至極ひょうひょうと軽やかな文体で、とても読みやすいエッセイです。うつの闘病記ですが重苦しさは感じません。私はこの本を読むまで先崎さんのことを存じ上げなかったのですが、読後、動画などで先崎さんを拝見したら、文体のとおりの見た目と声に嬉しくなりました。

うつにより無反応、無感動、無気力であった著者がすこしずつ自分をとりもどしていくまでを書いています。
後半は寛解間近の、感覚や感性を取り戻した時期に、リアルタイムの自分について書いていて、将棋界への復帰直前ということもあって文章のドライブ感がすごいです。まあ、うつの最悪なときは床に伏せっているか散歩しかなく、無感動状態なのでドライブしようがないんですけども。小さかった芽が幹になっていくような力強さ。うつろな目に光が宿ったあとの、意志をもった人によるイキイキとした文章にいっそう惹きつけられます。

先崎さんの場合は、実兄が精神科医であったことが救いのひとつであったと思います。医者から患者への断言をさけた説明でなく、兄から弟へ、身内にむけた遠慮のない意見がむしろ力強かったことでしょう。「うつ病はかならず治ります」この一文がどれだけ支えになったことでしょうか。

そしてもうひとつは間違いなく、将棋があったこと。少年期にいじめられ、教師にも恵まれなかった彼を腐らせず育ててくれた将棋(と将棋界)は、再起への希望となっただけでなく、将棋を打つ時の感覚で自分のコンディションを把握できる、先崎さんオリジナルの体調管理方でもあったのです。まさに芸が身を助けたのです。

読後に先崎さんの復帰戦の動画を拝見しました。自分の勝ちを読みきってか、ぶるぶる震える手で駒をうち勝利をもぎとる姿は感動ものでした。

人間と動物の境界線がぼやけていく。日高敏隆『ネコはどうしてわがままか』

『ネコはどうしてわがままか』(日高敏隆/新潮文庫/2008年)

物行動学者の日高先生の著作。
いままで数冊、日高先生の作品を読みましたが、ダントツで読みやすいです。
動物や虫の不思議な生態を、ひとつの生物につき3〜4ページほどの読みやすい文章でサクサク紹介する第一部と、
「すねる」「きどる」「待つ」など、人間にとってごくありふれた行動をキーワードに、人間以外の動物との差異や共通点を見出す第二部の二部構成です。
動物が人間に思えたり、逆に人間のことを動物のように感じたり、人間とそれ以外の生き物の境界線がぼやけるような感覚を味わえます。
動物行動学の入門書にピッタリです。

『ネコはどうしてわがままか』(日高敏隆/新潮文庫/2008年)

カエルはオスよりメスのほうが体が大きいことは珍しくないのですが、オーストラリアにいるカメガエルのメスは、繁殖期にきまって自分の体の70%の体重のオスを選ぶという。その理由がまた面白い。動物には動物の事情があるのだなあ。