ハッキリ言って僕は今も答えが出ていません。『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』

空梅雨だった昨年と打って変わって、今年はどっしり、じっとりと梅雨前線が腰を据えてしまい、記録的な長雨が続いています。ここまで日照不足だと農作物への影響はもちろん、人間の気持ちも影響を受けて鬱屈してしまいます。18世紀にすでにモンテスキューが、人間の性格形成に気候がいかに影響を与えるかを論じているくらいですし、晴れの日が少ない県出身の僕の友人は、「自分の性格が暗いのは気候の影響もある」と証言しました。予報ではまだまだ週明けまでは梅雨はあけないとのこと。この憂鬱はまだ終わりそうにありません。家の外に出ても眼前にひろがるのは灰色の世界。青い空が広がる爽快な夏の世界はまだ絵の中だけです。そう、例えばラッセンのような。

『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』(原田裕規 編著/フィルムアート社/2013年)

ラッセン」と聞くとどのような印象を受けるでしょうか。ラッセンを簡単に言うと、金髪のサラサラのロングヘアーに小麦色の肌のサーファー然としたアメリカ人男性画家クリスチャン・ラッセン、および彼が書くイルカ・クジラ・海・空・星・虹・光などが一枚の絵の中に詰め込まれたキラキラした絵画作品のことです。バブル期の日本でセンセーションをおこし、作品の複製画等やジグソーパズルなどグッズが大流行しました。「絵の上半分には空や星、虹が描かれ、下半分は水槽のように海の断面図になっていて、泳ぐ魚群やあぶく、水中に差し込む光が描かれている、あの絵のことですよ」と言えば多くの人が頭に思い描けるのではないでしょうか。

バブル期の華々しい登場から日本で広くもてはやされたラッセンですが、一部の人(一部なのか大勢なのかは不明ですが)はラッセンを特異なものとして扱います。「ラッセン」という言葉そのものに対するアレルギー反応をおこし、(笑)を付けられる形で嘲笑の対象になる場合もあります。僕もラッセンに対するそういった視点がないと言ったら嘘になります。余談ですが十代の頃、親類から「ラッセンの絵を買った」と聞いた時に僕は絶句してしまいました。子供であった僕ですら「これはドン引きものだ」と思ったのです。当時は絵画商法への問題視もあったのでそれも理由のひとつにあったのかもしれません。

ラッセンは日本美術界においても特異であったようで、けして美術家の評価の対象にはなりませんでした。ラッセンの作品は美術館で"展示"されることはなく、多くはデパート、百貨店の展示スペースでインテリア・アートとして"販売"されていました。ラッセン自信も作品を複製し販売することには熱心であったようで、1つの作品につき数千の複製を作っていたようです。それらはアートファンではなく、主にそれ以外の大衆(普段アートに触れない人々)を相手に飛ぶように売れ、ラッセン側と日本ディーラーの商才・商魂による一大マーケットを確立したのです。

こういったラッセン現象・ラッセン作品とは何だったのかを論じた本が、フィルムアート社より出版された『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』です。2012年にアートギャラリーCASHIでラッセン展をキュレーションした原田裕規さんによる編著で、クリエイター、美術評論家、哲学者、精神科医など15人が多角的にラッセン解析に取り組んだ1冊です。ラッセンに対して純粋でいられない視点を持ちつつ、それを言語化できない人は、膝を打ったり、唸ったりしつつページをめくる指が止められないことでしょう。

CASHI ラッセン展(2012年)

正直これを読んだあとでも、僕はラッセンがなんなのかが今でも分かりません。「ラッセンとはなんだろうか」と考えるうちに「ラッセンをこう捉える自分とはなんだろうか」といつのまにか自分に反射していたり、もしくはラッセンを捉えようとする視線の先が何にも到達せず、底なしの穴のなかをただ進んでいるだけような気持ちになります。きっとそれはラッセンの絵に作家性が希薄だからかもしれません。彼の内面がまったく読めないのです。空箱のなかをまさぐっても、何もつかめないのは当たり前です。もちろんラッセンにはラッセンのオリジナリティがあるとは思います。「海とクジラのキラキラした絵」と言われたら「ラッセン」という位にイメージを印象強く残すことにも成功していますが、基本的にラッセンはラッセンをコピーし続けているような印象で、「海とクジラのキラキラした絵」のイメージの外にでることはありません。海やクジラ以外のモチーフ(トラや宇宙など)もあるにはありますが、「次はこういった表現にチャレンジ」といったほどの大きな変化を感じません。その作風の変化に作家の内面や感情を読み取ることも鑑賞の楽しみだと思うのですが……。なので僕には単調な味に感じてしまいます。

しかしそれは一部の少数派だけなのかもしれません。お笑い芸人・永野の有名な持ちギャグ「ゴッホより普通にラッセンが好き」にも現れているように、そしてそのギャグが永野を世間に認知させたほど流行したことにも現れているように、ラッセンは半ば"普通"として迎えられているのです。でも僕は正直、思うのです。ゴッホ(に対する世間的なイメージ)は思ったよりかは普通だし、ラッセンはけして普通ではないと。

梅雨空と同様にラッセンへのモヤモヤ感は晴れていません。こういったモヤモヤを味わうことや自分の価値観の揺らぎを感じることも、読書の楽しみ方だと思います。ぜひお手にとって見て下さい。店員Tでした。

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ブラック・ジャック「指」収録―週刊少年チャンピオン 1974年第27号

少年チャンピオン 1974年第27号表紙。研ナオコの顔。

今回ご紹介するのは週刊少年チャンピオン 1974年第27号です。私、店員Tが生まれる前の時代のものです。しかし、目次にある執筆陣は私でも当たり前に知っているレジェンド先生の大名作たちの名前が……この直後に山上たつひこ『がきデカ』が、数年後に鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』が連載されると思うと、チャンピオンの一大黄金時代の直前のものになります。

少年チャンピオン 1974年第27号表目次。『ドカベン』『ふたりと5人』『ブラック・ジャック』『魔太郎がくる!!』…

この号に掲載の手塚治虫『ブラック・ジャック』第28話の「指」は、のちにセリフやコマ展開、設定などに変更が加えられ、タイトルも「刻印」に変わり同誌に再掲載。単行本収録もリメイク後の「刻印」バージョンであり、このオリジナル版「指」を読むことが出来るのは少年チャンピオンのこの号のみなのです!

ブラックジャック第28話『指』扉

多指症に触れた内容になっていて、身体障害に対する差別を取り扱っていたので、そのまま単行本収録はされなかった模様です。それにより、改変前の「指」はこの号でしか目にすることができないのです。当時ですら封印されたのですから、今現在ではボツでしょうし、作者もまず手を出さないテーマでしょう。

変身サイボーグ広告

レトロファンとしては、少年誌のおもちゃ広告もチェックすべきです。私ももちろん知っています、少年サイボーグ。ミクロマンなんかもそうですが、戦うヒーローのスケルトンの関節可動フィギュアなんて、当時の男の子にとっては飛びつきたいぐらいに扇情的でしょう。少年たちの広告を眺めるうっとりした瞳が見えるようです。

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“自転車はブルースだ。底抜けに明るく目的地まで運んでくれるぜ”―忌野清志郎『サイクリング・ブルース』

「浅く広くでかまわない」「どんなことでも興味を持ったジャンルにはフットワーク軽く飛びつこう」をモットーに生きてます、店員Tです。

昨年秋から、クロスバイクを入手し新たにサイクリングが趣味に加わりました。そして今年の春にはロードバイクも購入してしまい、パーツもちょこちょこ買ってしまい懐に風が吹いています。もともとロック歌手・忌野清志郎が好きだったうえにサイクリング趣味を覚えたとなるとこの本に手を伸ばさないわけにはいきません(というか清志郎ファンなら読んでおけ)。今回は忌野清志郎著『サイクリング・ブルース』を紹介いたします。

『サイクリング・ブルース』(忌野清志郎著/小学館)

50代を転機に体力づくりのためにサイクリングを始め、東京〜鹿児島間を10日間走破、ライブやレコーディングにも自転車で向かうほどサイクリングにハマった忌野清志郎の自転車愛が収められた1冊です。上の画像にもありますように、自転車入門書というよりは自転車"愛"入門書ですね。カラーページと写真が多く、清志郎が愛車にまたがり風を切る姿がカッコよくて、清志郎ファンが楽しめるのはもちろん、彼が旅をした沖縄や四国、東北の自然や、キューバ、ハワイの町並みも楽しめます。清志郎が道中で感じたことを旅情たっぷりに記した短いエッセイもあります。サイクリングに必要な道具類等の実用的な情報はそこそこで、「自転車で旅に出るって、こんなに楽しそうなんだなあ」とワクワクする気持ちを興してくれることに特化した、まさに"自転車愛入門書"です。僕も今まで乗っていた、重い安物の自転車から初めて軽いクロスバイクに乗り換えた時の「あっ、すごい! 漕げば漕ぐほどスイスイ進む! 」「これさえあればガソリンなくても、どこへでも行けるじゃん!」(←過信)という気持ちがサイクリング趣味の第一歩でした。

ガッツリ読み込める旅行記でもなく、すでに世の中にたくさんある実用的入門書でもない、自転車旅写真集 + 忌野清志郎写真集 + ライトなエッセイ といった感じでとても読みやすく、すぐに読み終わります。普段読書されない方にもおすすめです。

最後にサイクリング趣味の方なら微笑んでうなずくであろう、本書内の清志郎の言葉を。

自転車で走っていると、風がまわっているのを感じる。道のうねりを感じる。長く走れば走るほど、自然に対する想いが深まって、もっと遠くに、どこまでも、どこまでも、旅がしてみたくなる。

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1960年、六本木。伝説のイタリアン・レストラン―野地秩嘉『キャンティ物語』

2019年の現在を生きる田舎出身者の僕にとって、1960年に開店した六本木のとあるイタリアン・レストラン、そこに訪れる華々しい文化人や芸能人と一流の気品を持ったオーナー夫妻の交流の物語は最早ほとんどフィクションのようで、文庫本のページをめくるごとに、まるで貴族の社交界を覗いているようなワクワク感がありました。

そのレストラン “キャンティ” の常連には三島由紀夫、ミッキー・カーチス、伊丹十三、黒柳徹子、加賀まりこ、安井かずみ、かまやつひろし、松任谷由実…ここには書ききれないほどの輝かしい著名人たちの名前が挙げられています。レトロ趣味で、昭和芸能界ファンなところもある僕は、まず昭和のスター達がこよなく愛した店としてキャンティを知り、当然どんなレストランなのかを知りたくなりますし、そうなればこのノンフィクション『キャンティ物語』を手に取らずにはいられなかったわけです。

『キャンティ物語』(野地秩嘉著/幻冬舎文庫/平成9年)

レストラン キャンティはまだ日本に本格的なイタリアン・レストランがなかった1960年、オーナー川添浩史と妻の川添梶子を中心に、二人の夜の遊び場のような店として麻布に誕生します。当時の日本はナポリタンとミートソースぐらいしかスパゲッティが広く知られてない時代で、キャンティでバジリコを出したら“緑色のスパゲッティ”と驚かれたというほど。しかしそのバジリコは梶子のアイデアで大葉とパセリを加えた日本人向けのアレンジが施されており、次第に看板メニューとなります。当時はキャンティのように深夜3時まで営業している飲食店がなかったので、夜型になりがちな芸能人、作家、テレビマン、政治家などが自然とキャンティに集まり交流を深め、単なるレストランではなく“大人の遊び方”を教わる場所になったそう。浩史と梶子は常連から「パパ」「タンタン(イタリア語で“おばさん”)」と呼ばれ、二人に会える喜びもキャンティの魅力でした。

オーナーの川添浩史と妻の梶子

『キャンティ物語』はキャンティ開店後のエピソードももちろん描かれていますが、それ以前の、華族の庶子として生まれた川添浩史の学生時代やパリ留学時代、本業の文化活動、梶子との出会い等にも多くのページを割いてしっかりと書かれています。最初は昭和芸能界よもやま話を期待して読み始めた僕も、次第にその昭和初期の富裕層である浩史の、戦中戦後とは思えない非常に文化的に恵まれた暮しに興味をひかれてゆきました。アヴァンギャルド映画の勉強にパリへ留学(しかも専門学校はあっさり自主退学)、モンパルナスのカフェに入り浸り、オートバイを乗り回し、売れる前の写真家 ロバート・キャパと親友になり、当時パリで活躍していた日本人ピアニスト 原智恵子と最初の結婚をする等、当時の日本庶民とは違いすぎる浮世離れした生活があまりにも華々しくフィクショナルで驚きます。そして浩史は若かりし時から非常にスマートな紳士であったと言います。華族の暮らしの中で自然と身についた気品ある身のこなしやマナー、センス。ときにはお坊ちゃん気質と揶揄されるほどの心の余裕。上流気取りでない、本物の高貴さがあったと語られています。

川添浩史(右)とロバート・キャパ(左)

もともと彫刻家を目指してイタリアに留学していた川添梶子も当時では考えられないほどハイセンスで、キャンティの常連客であった加賀まりこ、安井かずみ、松任谷由実などとりわけ女性客は梶子をリスペクトし、理想の女性として彼女からその美意識を学んでいきます。ファッションや髪型はもちろん、店で出す料理(レシピは梶子によるもの)や食器、飾る花、身のこなしにもブレることのない審美眼でこだわり抜いてチェックし、安井かずみには彼女が連れて歩くボーイフレンドについても「あの子はダメね」「まあまあね」とアドバイスしていたといいます。当時の日本女性にはない天真爛漫さと、美に対する強い眼差しに皆が憧れました。ちなみに松任谷由実(当時は荒井由実)のアルバム『MISSLIM』のジャケット、ピアノの前に座るユーミンは梶子の部屋で撮影されたものだそうです。

荒井由実『MISSLIM』

川添浩史・梶子の生き方を知り、お金や生まれがどうかは関係なく、僕も背筋を伸ばして生きてみようかなあと思いました。まあ、どう転んでも華族並の資産を得ることは一生ないので…気持ちだけでも気高く生きれば、自然と目線も高くなり状況がより良い方向へ変わっていくかもしれないではないですか!(ということにしておいてください、うん)

ちなみにキャンティは今でも六本木に存在し、浩史の孫に当たる3代目が店を受け継いでいます。伝説のバジリコ・スパゲッティに舌鼓を打ちたい方はぜひ、ご予約を。ドレスコードにもお気を配りくださいませ。

キャンティ ホームページ http://www.chianti-1960.com/index.html

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人間味あふれる“最強の泣き虫” 高田延彦ノンフィクション『泣き虫』

※予め申し上げておきますと、僕はプロレス・格闘技ファンではありません。“ガチ”の方ははしゃぐ若輩者を眺める心の広い先輩として、あたたかく見守ってください。

僕にとって高田延彦という人は、元プロレスラーで格闘技をやっていた人、くりぃむしちゅー有田のものまね「出てこいや」の元ネタの人、ふんどし太鼓の人でした。

1990年代後半から2000年代と、僕の青春時代は総合格闘技ブームど真ん中だったので、興味がなくても高田をはじめ数々の格闘家の名前は情報として頭に入っていましたが、実際にどのような死闘やドラマがあったのかは知りませんでした。

ここ数年、世間的なプロレス再興のわずかな兆しを感じて、僕の中でプロレスに対する種火のような興味の灯がともり(やがて燃える闘魂になるかは分かりません)、そしてこの本『泣き虫』(金子達仁 著/幻冬舎/2003年)に辿り着いたのです。

複雑な家庭環境で育ち、いじめも経験した少年時代から、アントニオ猪木に憧れ新日本プロレスに入団、その後いまでも伝説となっている団体UWF、Uインターへと、スターレスラーの階段を駆け上がるプロレスラー時代、ヒクソン・グレイシー戦に破れ最強幻想が崩れるも、愛憎相半ばする後輩・田村潔司との引退試合でかっこいい男の引き際を見せる総合格闘家時代までを綴ったノンフィクションです。

また、プロレスや格闘技における“エンターテインメント・ショー”と“勝負”のあいだにある機微に対するリテラシーが(例の“高橋本”発表以降なので、昭和ほどではないにしろ)まだ今ほど高くなかった2003年に“ガチ”“八百長”といったデリケートな部分に高田本人の言葉で触れています。プロレスラー・格闘家本人が言及するということに当時のファンは困惑したことと思います。

浅はかなプロレス知識しかない僕でも、この本は楽しく読み進めることができました。プロレスラー・格闘家としての魅力よりも、高田延彦本人の人間としての可愛らしさを感じられ、それが面白いのです。なんというか…“一番大事な場面で、一番やってはいけないポカをする人”なんですよ。それに対して素直に落ち込み思い悩む高田。周りの人も迷惑を被るけど、なんだかんだほだされてしまう、最強の人たらし。そういった人間味にあふれた高田延彦の描写に、つい微笑みつつページを進めてしまいました。大ポカとしては90年代に一度プロレスラーを引退し、周りに押し切られて望まぬまま選挙に出馬、しかし同時期にCM契約もしていたので違約金が発生、選挙の結果も落選。あとヒクソンとの初戦前も契約内容でいろいろこじれてしまい、体もモチベーションも最悪な状態でその日を迎え、高田曰く「死刑台にあがる気分」でリングへ。結果はもちろん惨敗。「なぜこのタイミングで」と突っ込まずにいられないポカ具合なんです。

タイトル『泣き虫』も、なんと人間味にあふれたタイトルでしょうか。以前高田が謳われた『最強』の正反対のイメージでしょう、『泣き虫』。一人の人間としては、高田は泣き虫で、ポカもしちゃうし奥さんである向井亜紀さんも本当に大変だったろうけど、それでも可愛らしいのです。死語でいうと、“萌えます”。

ということで、約2年ぶりの記事投稿となりました、店員Tでした。また2年後に(それ以上の可能性も)(これが最後の可能性も)!

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