心ときめくアドベントカレンダーの思い出と『月光綺譚』

こんにちは、店員Nです。ついに12月に突入しましたね……月日の過ぎゆく速さにはつくづく驚かされます。

さて、12月の一大イベントといえばクリスマスですが、アドベントカレンダーをご用意された方ってどのくらいいらっしゃるのでしょう? クリスマスの訪れを心待ちに、12月1日から毎日ひとつずつ24の窓を開けてゆくカレンダー。窓の中に小さなお菓子が入っているものから、Diorの出しているもののような変わり種まで、実にバリエーション豊かです。本場ヨーロッパでは宗教色の強いものもあるようですが、ここ日本では日々に楽しみを添えてくれる娯楽のひとつとして親しまれています。

わたしも、幼いころはよく、チョコレートの入っているタイプのものをわくわくしながら開けては姉とはんぶんこしたものでした。ふたりともほんとうに小さな、ろくに分別もついていない子どもだったのに、なぜかどちらかが勝手に食べてしまうということもなく。もしかすると、こういったものは独り占めするよりも分かち合ったほうが楽しいのだと、子供ならではの嗅覚で感じとっていたのかもしれません。

さて、そういうわけで個人的にも浅からぬ思い入れのあるアドベントカレンダーですが、これとよく似たときめきを与えてくれる書籍に巡りあってしまいました。

月光綺譚 / 星野時環 / 空中線書局 / 2014
月光綺譚 / 星野時環 / 空中線書局 / 2014

それがこの『月光綺譚』。31枚の紙に印刷された31の掌編が収められており、12月のような31の日をもつ月のついたちから1日1枚読み進めてゆけば、ちょうど1ヶ月で1周するようにできているのです!!  どうです、この言いようのないわくわく感。アドベントカレンダーを彷彿とさせませんか!?  

この装丁の美しさ、何気ない日々に輝きを与えてくれるものとして完璧です。シンプルな品の良さがありながら、どこか遊び心も感じさせる佇まい。瑠璃色(奇しくもラピスラズリは12月の誕生石のひとつ)の地に銀箔押し特殊加工……。しかもこちら、実は別に特装版がありまして、このクオリティで通常版なんですよ……。といっても、限定200部の品ではあるのですが。

それぞれの掌編のタイトルも「お星様の作り方」「月光症候群」「流星Nite倶楽部」等、想像力をかき立てるものばかりです。題は目次からあらかじめわかっているだけに、1日に3枚4枚と読んでしまいたくなる誘惑と戦うことになるのが目に見えるよう。

こういった楽しく美しく素敵なものが何気なく世の中に存在している幸いに感謝しながら、今晩ベッドの中でじっくり1枚目を味わおうと思います。

古本屋 草古堂は、クリスマスの絵本や装丁の凝った書籍の買い取り大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

只今、幕張店のワゴンにクリスマス絵本コーナーを設置しておりますので、お近くにお来しの際はぜひお立ち寄りくださいね。それでは皆様、どうかよい12月を。

『レストー夫人』――物語の中の少女は、ページの外へ出られるか?

あらすじに目を通しただけで、「これは絶対自分の感性に合う」と確信を抱く作品ってありませんか? 不思議なことに、そういったカンはたいてい外れないんですよね……。幸運にも、最近またそんな作品に巡り会えたので、ご紹介したいと思います。

三島芳治作の『レストー夫人』。とある学校で毎年、2年生の7クラスが同じ「レストー夫人」を違った演出で上演する、という設定に惹かれ購入。一時期戯曲の翻案について学んでいたからか、各クラスがどんな「レストー夫人」を作り上げるのかをオムニバスのような形で追っていくものかと予想していたのですが、実際はだいぶ違っていました。

この『レストー夫人』は、「劇の中の女の子のような言葉で会話する」少女・志野襟花を軸として、劇の稽古を進めるなかで彼女のクラスメイト達にスポットを当てながら展開される、2年2組ただ1クラスの個々人とその関わり合いの物語だったのです。

『レスト―夫人』 / 三島芳治 / 集英社 / 2014
『レスト―夫人』 / 三島芳治 / 集英社 / 2014

ラフながら決して雑には見えない線で描き出されたシンプルな画面に、ところどころ、印象的なフレーズが散りばめられています。

「志野と話したあとは 他の友だちとおしゃべりする時みたいな 運動のような疲れがまったくなくて 一人で静かに外国の本を読んだあとのような気分になった」(p.16)

「きっとお話がたくさん必要なんでしょう 子供や 学校や 街や この地球(ほし)に」(p.34)

「自分のまわりを上手にお話にしてる人の雰囲気があるもの」(p.67)

「まるで狼に育てられた狼少年みたい お話の中だけで育ったから だからこんななのね 不自然でしょう言葉遣いも 女の子の模型よ」(p.123)

物語の主人公の名前を子供の名前に置き換えて話すという教育メソッドを受けて育てられたために「外の世界に出てもいつもお話の中にいるよう」に感じ、自身を「模型」「怪獣(キメラ)」と称する志野をはじめとして、あるはずのない「印(めもり)」が視える川名、考えていることを「発表しない」主義で徹底して言葉を発さない鈴森、「公式な言葉の使い方」を覚える前に腹話術を会得しそれを活かして鈴森に声を当てることになった井上、模型を愛し、志野への質問を通して彼女の全体像と真実を描き出してゆく石上、そして彼ら彼女らを見つめ、「志野が主人公の物語」を書いているかのような錯覚のなか稽古の様子を書き留めてゆく記録係・鈴木。

みなそれぞれに個性的で(つまりどこか変で)魅力に溢れた登場人物たち。

なかでも独特の立ち位置にいるのが、衣装係という役割を与えられた作中の人物でありながら、志野という物語の「読者」でもある衣装係・石上。彼は、上に引用した志野の発言(「まるで狼に~」)を受けて、同じく志野の「読者」である鈴木なりの志野解釈を咀嚼したのち、女の子の模型なんていなくて、そう思い込んでる変な女の子が一人いただけ、と返すことになるのですが、その場面を見ていると、人が言葉で人を救う瞬間を目の当たりにしたという感慨がこみ上げてくるんですよね……。

自分は物語の中でしか生きられないと思い込んでいた志野が、戯曲の登場人物を演じる過程で鈴木と石上という観察者に読み解かれて現実に自分を見出すというのは、なんとも運命のいたずらといった趣があります。つい微笑んでしまいそうになる類の。

この作品は4章構成となっており、それぞれの章は、その章の中心人物によるモノローグと、その人物とクラスメイト達との対話によって織りなされます。読んでいるときの感覚としては一人称小説のそれに近く、これは「この子たち自身の物語」なんだと確かに感じさせてくれるその語り口は、学校という舞台設定もあいまって、繭の中のような柔らかさと隔絶性を伴いつつ物語全体を包みこんでゆきます。

志野がいくら「お話の中」の自分に倦んでいたとしても、その幻想が、それまで信じ続けてきたものが壊される以上、彼女は相応の痛みを覚えてもおかしくなかったはず。だというのに、彼女の得た幸いばかりを伝えてくる仕上がりになっているのは、そこに至るまでに作られてきた空気感のおかげでもあるのでしょう。

作中において他のクラスの「レストー夫人」については数言しか触れられず、読者がその詳細を知ることはないので、どんな子たちがどのようにしてどんな「レストー夫人」を作り上げたのか、ついぼんやりと思いを馳せてしまう今日この頃です。

巻末には「燃えろ、ストーブ委員」と「七不思議ジェネレーター」という2本の短編が収録されています。個人的には前者の押し付けがましくないメッセージ性がとても好ましかったので、こちらもぜひお読みになっていただきたいところ。

古本屋 草古堂は、演劇に関する書籍の買い取り大歓迎です!! 出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

入荷情報:『機動戦士ガンダムUC』

『機動戦士ガンダムUC』の全10巻セットが入荷しました。これは前にブログに書いたお台場の新しいガンダム立像が登場している作品です。

『終戦のローレライ』や『亡国のイージス』を書いた福井晴敏による小説で、戦闘の場面なども迫力があり読み応え十分です。新しいガンダム立像は変形したり、赤や緑に光るのですが、この作品を読むと全部のパターンを観たくなること請け合いです。小説もお台場の展示も楽しんでほしいですね〜。

機動戦士ガンダムUC / 福井晴敏 / 角川書店
機動戦士ガンダムUC / 福井晴敏 / 角川書店

草古堂 幕張店では、漫画セットの買取りも大歓迎です。どうぞお気軽にご相談、お問合せください!

原田マハ『サロメ』と「怖い絵」展――オーブリー・ビアズリーの描いた怪女

10月7日、兵庫で人気を博した「怖い絵」展が満を持して東京・上野の森美術館にやってきます。中野京子著『怖い絵』の刊行10周年を記念して開催されているこの展覧会にてオーブリー・ビアズリーの絵画が展示されるということで、今回は、ビアズリーとオスカー・ワイルドの関係性に着目して織りなされた小説、原田マハの『サロメ』をご紹介したいと思います。

サロメ / 原田マハ / 文藝春秋 / 2017
サロメ / 原田マハ / 文藝春秋 / 2017

この小説はいわゆる枠物語になっていて、ビアズリーとワイルド、それぞれの研究者の邂逅から額縁部分が組み上げられてゆき、未発表の『サロメ』の挿絵が登場したところで、時代を遡って鬼才オーブリー・ビアズリーの物語が始まります。語り手は彼の姉であるメイベル・ビアズリー。この内側の物語の中でもさらに時系列は錯綜し、オーブリーの死の間際から幕が開くため、物語を通して不穏な陰がつきまとい、読者は姉弟を待ち受ける破滅がいつ襲い来るのかと恐々としながら(あるいはその瞬間をこそ期待しながら)ページをめくっていくことになるでしょう。

まだ無邪気に描くこと・演じることを楽しんでいた子供時代から、時を経るにつれて芸術の悪魔に魅入られてゆく弟と焦燥に駆られ手段を選ばなくなってゆく姉、作中でたびたび怪物と称されるワイルドとの出会い、豹変してゆくオーブリー、弟をワイルドの魔手から奪い戻さんと罠を張りめぐらせるメイベル……。

それぞれの欲望と激情と執着に忠実に駆ける登場人物たちによって描き出される物語は、われわれ読者をその疾走に巻きこみ逸らせる力を備えています。

ワイルドとオーブリーの耽美で愛憎渦巻く関係性や芸術家の狂気が話の中心となってはいるものの、それを物語るメイベルもとても魅力的な人物。弟を画家としての成功へ押し上げるため、そして自身が名のある女優となりスポットライトを一身に浴びるために、ときには劇場主と夜を共にし、またあるときにはワイルドとオーブリーの繋がりを決定的なものとする筈であった翻訳原稿を密かに売り渡し、と暗躍します。物語の半ばまでは、ともすれば天才芸術家ふたりに振り回される凡人の役回りかとも思われるのに、その実最終的には自身の仕掛けた罠によってすべての破滅を招く、嵐のような、あるいは虚しい道化のような彼女。

『嵐ヶ丘』のキャサリン・ロックウッドや『白痴』のナスターシャ・フィリッポヴナといった苛烈で狂気的で物哀しい女性特有の魅力を、運命の女と呼ぶにはやや役者不足ながらもたしかに漂わせる人物なので、その方面がお好きな方にもおすすめできる作品です。

「怖い絵」展の会場では、ビアズリーが『サロメ』に寄せたすべての挿絵が印刷されたバンダナスカーフや、その中でも衝撃的な一枚、銀の大皿の上で血を滴らせるヨカナーンの首を掴むサロメが描かれた《踊り手の褒美》がプリントされたマグカップが販売されるそうです。赤と白と黒というコントラストのくっきりとした色使いもあいまって、どちらもビアズリーの絵に相応しい迫力を醸し出しています。

ところで、この展覧会、グッズに心惹かれるものが多すぎませんか……? 「サロメ」関連のものの他にも、展示される絵画の中に登場する女性をピックアップした缶ミラーあたりはもう、数奇な運命を辿った女性やファム・ファタール、神話に登場するような並外れた女を偏愛する層を狙い撃ちですし、「キルケー」と「セイレーン」をイメージしたバスソルトだなんて背筋を凍らせるような代物も。なんというか容赦のない品が多すぎて(しかもホームページに紹介されているのは一部)、興奮のあまりお財布の中身を捧げ尽くしてしまいそうですが、どうにか踏みとどまりたいと思います……。ああでも、怪物的な女やこの世ならざるものに破滅させられるのはむしろあるべき流れなのでは……?

古本屋 草古堂は、中野京子や原田マハの著作、オスカー・ワイルド/オーブリー・ビアズリーに関する書籍の買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください

二階堂奥歯『八本脚の蝶』――祈りと愛の墓標

「八本脚の蝶」というサイトをご存知でしょうか? 編集者にして稀代の読書家であった二階堂奥歯さんが、2001年の半ばから2003年4月の死の直前まで日記を綴りつづけたウェブサイトです。

このサイトは2017年8月現在でも閲覧できますが、書籍版も刊行されていて、そちらには彼女が雑誌「幻想文学」へ寄稿したいくつかのブックレビューと彼女と関わり合いをもった人々による「記憶――あの日、彼女と」と題された13の追悼文も収録されています。

八本脚の蝶 / 二階堂奥歯 / ポプラ社 / 2006
八本脚の蝶 / 二階堂奥歯 / ポプラ社 / 2006

上の文を書いてみて初めて気づいたのですが、この日記、2年分に満たないんですね……。あまりに切実で、濃密で、1年と約10ヶ月でこれであれば26年分は一体どれほど、と、所詮彼女と袖触れあうこともできなかった他人の勝手な憶測とは知りつつも、奥歯さんの抱えていたものの重さに思いを馳せてしまいます。

世界が今日終わればいいと思っていることは知ってるよ。でも終わらなかった。いつも終わらないんだ。ただあなたが大切に思っているものを、私は今でも大切に思っている。あなたが遺してくれたものを私は受け取っている。大丈夫だから。

「みんな忘れてしまいがちなんだけど、この世界は本当はとてもうつくしいんだ。」朝、電話でそう言った人がいた。「ええ、そうですね。」と私は答えた。本当にそう思ったから。

何不自由なく満ち足りたこの世界で私はなぜだか戦場にいるような気がします。

無自覚なままでは無垢でいられない。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

アナスイのコスメ、ベッドルルイエ化計画(!?)、ピノコ、人形論(あるいは「人形化」論)、マゾヒズムと聖性、聖マルグリット・マリー……。信仰・祈りというもの、誠実であるということ、読むものと読まれるもの、女性へ向けられる眼差しについて……。

彼女の人生はとても短いものでしたが、ここまで鮮烈に自分というものを遺したひとはそういないのではないでしょうか。ウェブサイトという、誰に向けるわけでもない場で綴られていたからか、日記には彼女の愛したもの、考えていたこと、苦しみ、祈り、あらゆるものが無防備なまでにむきだしで、それが一冊の書物になっている様はまるでひとつの墓標のようです。彼女との記憶を紡いだ13人の文章が手向けられた花を彷彿とさせるものですから、尚の事。

著者紹介の「自らの意志でこの世を去った。」という書き方ひとつとっても、奥歯さんの選択、そしてそこに至る道程への敬意が垣間見えて、この本はほんとうに、奥歯さんの想いと、奥歯さんへの追慕、ただそれだけで編まれたのだなと、なんとも言い表し難いものを覚えます。

わたしには自分に課したルールがあって、積んでいる本の山が更地になり、書店をぶらぶらしてもこれという本に出会えないとき、そういうときにだけ、『八本脚の蝶』で奥歯さんが引用や言及をなさっている本を意図的に探し手にとってよい(偶然ならいつでもOK)、というものです。登場するものを読み切ってしまえば何だか寄る辺ない気持ちになってしまう予感があり、こんなルールで縛ってゆっくりゆっくり消化しているのですが、『トーマの心臓』でトーマがユリスモールの借りた本を追って読んでいたあれに似たものがあるな、と自分で思わず苦笑してしまいました。

古本屋 草古堂は、書評集やブックガイドの買い取り大歓迎です。出張買取も承りますので、お気軽にお問い合わせください