小さな買い物、小さな幸せ―中野翠 著『千円贅沢』

"安物買いの銭失い"。私のためにあるような言葉ですが、小さな負担でちょこちょこ買い物をすると、購買欲を満たせてドーパミンが出る回数が多くなるのでついついやってしまうのです。ましてや今はワンクリックで買い物ができ、最短で翌日に届く。よくよく考えたら恐ろしいことですよ。私の子供の頃ではありえなかった。

バスタオルが古くなって水を吸わなくなってきたと思ったらバスタオルのセットを、100円ショップに入ってたまたま見つけた可愛い小皿を、ドラッグストアのPOPの宣伝につられてサプリメントを…… と誘惑に抗えない私ですが、今回は古本屋でタイトルにつられて買ったこの本、中野翠著のエッセイ『千円贅沢』をご紹介します。

『千円贅沢』(中野翠著/講談社/2001年)

エッセイスト・コラムニストの中野翠さんが、およそ千円で今まで買ってきたちょこちょこした戦利品が1つにつき3ページほど、買う時の顛末などをふくめて紹介されています。中野さんが少女のようなときめきを感じて購入するも、その後急激に飽きたり、逆に一生モノになったりする様子を面白おかしく読み進めることができます。

高級チョコレート、ウイスキーボンボン、お香立て、ガラスの箸置き、備長炭、おしゃれなメガネ拭き、ポチ袋、タトゥーシール、琥珀のブレスレット、こけし、昔の子ども茶碗、歌舞伎トランプ、etc、etc…… 食べ物から雑貨、装飾品、実用的なものまで、中野翠さんの小さな幸せが、カタログを眺めるようにも楽しめますし、買い物エッセイとしても楽しめます。私も今回は古本屋で、◯◯円贅沢を楽しみました。

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【古本屋 妄想劇場 #01】カメラ墓場の長老、中判カメラ バケペンことPENTAX 67

断捨離ブームも、ブームを過ぎてむしろ「持たない暮らし」「ミニマリスト」として一般的なライフスタイルとなっている昨今ですが、弊社倉庫は相変わらずガラクタで溢れかえったまま、むしろ増殖している状況で、今もう圧倒的に人手が足りていません!ブログの出だしから愚痴っぽくなっちゃってすみません! でも人間らしさが感じられるブログになりませんかね?(笑) 人手が足りていたらブログも前回の記事から一ヶ月以上もあいたりしません!

そんな弊社倉庫の一角には、『カメラ墓場』があり、黒や銀のカメラがうず高く積まれたまま「俺たちをどうするんだ」とそのレンズを光らせています。「ごめん、人手が全然足りてなくて、時間がなくて…」「捨てるのか?」「いや捨てない、なんとか活用するから、ちょっと待って」「ふざけるな!いつもそうやって俺たちを放置しっぱなしじゃないか!」「い、いや本当なんだ!本当に人と時間が…」「おい、みんなやっちまおうぜー!!!!」と無数のカメラボディ、レンズ、ストロボ、フィルター、革ケース等カメラ用品が襲いかかろうというその時でした。

「やめんかっ!」

一喝が響き渡り、全員の動きがピタリと止まりました。声のした方を見ると、そこにはひときわ大きな黒いからだを鈍く光らせる一台のカメラが。

「バケペン長老!」

そう、彼は中判カメラ バケペンことASAHI PENTAX 67(6x7)。『化け物のようなペンタックス』の異名から、バケペンと呼ばれているのです。

ASAHI PENTAX 67、通称バケペン

中判カメラとは中判フィルムを使うカメラであり、バケペンに使用するフィルムは通常使われる35mmフィルムよりも大きいのです。フィルムが大きいということはその分、光や情報を多く取り込むことができ、表現豊かな写真が撮れる魅力があるのですが、大きなフィルムを普通のカメラ同様に横送りする機構であるためにボディがバカでかく、重く、持ち歩いてスナップを取るなんて気軽な使い方ができません。しかしその『凄み』(それを凄みと言えるのか)が持ち味として愛されています。

中判フィルム(ブローニーフィルム)

「みんな待ちなさい。この世には事情というものがあるのじゃ。桶屋が儲かったのは風が吹いたからじゃ。カメラ墓場が放置されているのは人手が足りないからじゃ。人手が足りないのは…まあ職場環境や待遇に問題があるのかの?まあわしの知ったことではない…とにかく万物はつながっているんじゃよ。『ばたふらい・えふぇくと』じゃ」

呆然としている私も含め、みんながバケペンの話を聞いています。

「わしたちカメラも同じこと。なにもなしにキレイな写真が撮れるわけじゃない。光がレンズを通り、フィルムに映る。そのフィルムを現像してはじめて写真ができあがるのじゃ。そして何より、わしたちカメラを持ち出して、被写体にレンズを向け、シャッターを押すのは、コヤツみたいな人間たちじゃ」

バケペンは私をじっと見据えました。私は声も出せません。

「人間、精進しなさい。人手が足りないのは事実じゃろう。しかし『時間がない』は口にしてはいかんぞ。ほんの少しでも時間は作れるんじゃからな。少しずつでかまわん、やれることはある。君は見たところ30代と見える。まだまだこれからじゃよ。頑張って仕事をこなし、慣れてきたところで新たなチャレンジをする。これを続けなさい。」

そう言うとバケペンは踵を返し、またカメラ墓場へと戻っていきました。ほかのカメラたちも無言でそれについていきました。

「ああ、言い忘れておった、人間。」

バケペンが振り返った。

「わしを売るときは高く売れよ」

そういってバケペンは微笑んだように見えました。


というわけで、私のバケペン妄想でした。いつ、いくらで売りに出そうかと思案していますが、もう少しだけ長老にはゆっくりしていただくことにしますかね…

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ハッキリ言って僕は今も答えが出ていません。『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』

空梅雨だった昨年と打って変わって、今年はどっしり、じっとりと梅雨前線が腰を据えてしまい、記録的な長雨が続いています。ここまで日照不足だと農作物への影響はもちろん、人間の気持ちも影響を受けて鬱屈してしまいます。18世紀にすでにモンテスキューが、人間の性格形成に気候がいかに影響を与えるかを論じているくらいですし、晴れの日が少ない県出身の僕の友人は、「自分の性格が暗いのは気候の影響もある」と証言しました。予報ではまだまだ週明けまでは梅雨はあけないとのこと。この憂鬱はまだ終わりそうにありません。家の外に出ても眼前にひろがるのは灰色の世界。青い空が広がる爽快な夏の世界はまだ絵の中だけです。そう、例えばラッセンのような。

『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』(原田裕規 編著/フィルムアート社/2013年)

ラッセン」と聞くとどのような印象を受けるでしょうか。ラッセンを簡単に言うと、金髪のサラサラのロングヘアーに小麦色の肌のサーファー然としたアメリカ人男性画家クリスチャン・ラッセン、および彼が書くイルカ・クジラ・海・空・星・虹・光などが一枚の絵の中に詰め込まれたキラキラした絵画作品のことです。バブル期の日本でセンセーションをおこし、作品の複製画等やジグソーパズルなどグッズが大流行しました。「絵の上半分には空や星、虹が描かれ、下半分は水槽のように海の断面図になっていて、泳ぐ魚群やあぶく、水中に差し込む光が描かれている、あの絵のことですよ」と言えば多くの人が頭に思い描けるのではないでしょうか。

バブル期の華々しい登場から日本で広くもてはやされたラッセンですが、一部の人(一部なのか大勢なのかは不明ですが)はラッセンを特異なものとして扱います。「ラッセン」という言葉そのものに対するアレルギー反応をおこし、(笑)を付けられる形で嘲笑の対象になる場合もあります。僕もラッセンに対するそういった視点がないと言ったら嘘になります。余談ですが十代の頃、親類から「ラッセンの絵を買った」と聞いた時に僕は絶句してしまいました。子供であった僕ですら「これはドン引きものだ」と思ったのです。当時は絵画商法への問題視もあったのでそれも理由のひとつにあったのかもしれません。

ラッセンは日本美術界においても特異であったようで、けして美術家の評価の対象にはなりませんでした。ラッセンの作品は美術館で"展示"されることはなく、多くはデパート、百貨店の展示スペースでインテリア・アートとして"販売"されていました。ラッセン自信も作品を複製し販売することには熱心であったようで、1つの作品につき数千の複製を作っていたようです。それらはアートファンではなく、主にそれ以外の大衆(普段アートに触れない人々)を相手に飛ぶように売れ、ラッセン側と日本ディーラーの商才・商魂による一大マーケットを確立したのです。

こういったラッセン現象・ラッセン作品とは何だったのかを論じた本が、フィルムアート社より出版された『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』です。2012年にアートギャラリーCASHIでラッセン展をキュレーションした原田裕規さんによる編著で、クリエイター、美術評論家、哲学者、精神科医など15人が多角的にラッセン解析に取り組んだ1冊です。ラッセンに対して純粋でいられない視点を持ちつつ、それを言語化できない人は、膝を打ったり、唸ったりしつつページをめくる指が止められないことでしょう。

CASHI ラッセン展(2012年)

正直これを読んだあとでも、僕はラッセンがなんなのかが今でも分かりません。「ラッセンとはなんだろうか」と考えるうちに「ラッセンをこう捉える自分とはなんだろうか」といつのまにか自分に反射していたり、もしくはラッセンを捉えようとする視線の先が何にも到達せず、底なしの穴のなかをただ進んでいるだけような気持ちになります。きっとそれはラッセンの絵に作家性が希薄だからかもしれません。彼の内面がまったく読めないのです。空箱のなかをまさぐっても、何もつかめないのは当たり前です。もちろんラッセンにはラッセンのオリジナリティがあるとは思います。「海とクジラのキラキラした絵」と言われたら「ラッセン」という位にイメージを印象強く残すことにも成功していますが、基本的にラッセンはラッセンをコピーし続けているような印象で、「海とクジラのキラキラした絵」のイメージの外にでることはありません。海やクジラ以外のモチーフ(トラや宇宙など)もあるにはありますが、「次はこういった表現にチャレンジ」といったほどの大きな変化を感じません。その作風の変化に作家の内面や感情を読み取ることも鑑賞の楽しみだと思うのですが……。なので僕には単調な味に感じてしまいます。

しかしそれは一部の少数派だけなのかもしれません。お笑い芸人・永野の有名な持ちギャグ「ゴッホより普通にラッセンが好き」にも現れているように、そしてそのギャグが永野を世間に認知させたほど流行したことにも現れているように、ラッセンは半ば"普通"として迎えられているのです。でも僕は正直、思うのです。ゴッホ(に対する世間的なイメージ)は思ったよりかは普通だし、ラッセンはけして普通ではないと。

梅雨空と同様にラッセンへのモヤモヤ感は晴れていません。こういったモヤモヤを味わうことや自分の価値観の揺らぎを感じることも、読書の楽しみ方だと思います。ぜひお手にとって見て下さい。店員Tでした。

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ブラック・ジャック「指」収録―週刊少年チャンピオン 1974年第27号

少年チャンピオン 1974年第27号表紙。研ナオコの顔。

今回ご紹介するのは週刊少年チャンピオン 1974年第27号です。私、店員Tが生まれる前の時代のものです。しかし、目次にある執筆陣は私でも当たり前に知っているレジェンド先生の大名作たちの名前が……この直後に山上たつひこ『がきデカ』が、数年後に鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』が連載されると思うと、チャンピオンの一大黄金時代の直前のものになります。

少年チャンピオン 1974年第27号表目次。『ドカベン』『ふたりと5人』『ブラック・ジャック』『魔太郎がくる!!』…

この号に掲載の手塚治虫『ブラック・ジャック』第28話の「指」は、のちにセリフやコマ展開、設定などに変更が加えられ、タイトルも「刻印」に変わり同誌に再掲載。単行本収録もリメイク後の「刻印」バージョンであり、このオリジナル版「指」を読むことが出来るのは少年チャンピオンのこの号のみなのです!

ブラックジャック第28話『指』扉

多指症に触れた内容になっていて、身体障害に対する差別を取り扱っていたので、そのまま単行本収録はされなかった模様です。それにより、改変前の「指」はこの号でしか目にすることができないのです。当時ですら封印されたのですから、今現在ではボツでしょうし、作者もまず手を出さないテーマでしょう。

変身サイボーグ広告

レトロファンとしては、少年誌のおもちゃ広告もチェックすべきです。私ももちろん知っています、少年サイボーグ。ミクロマンなんかもそうですが、戦うヒーローのスケルトンの関節可動フィギュアなんて、当時の男の子にとっては飛びつきたいぐらいに扇情的でしょう。少年たちの広告を眺めるうっとりした瞳が見えるようです。

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“自転車はブルースだ。底抜けに明るく目的地まで運んでくれるぜ”―忌野清志郎『サイクリング・ブルース』

「浅く広くでかまわない」「どんなことでも興味を持ったジャンルにはフットワーク軽く飛びつこう」をモットーに生きてます、店員Tです。

昨年秋から、クロスバイクを入手し新たにサイクリングが趣味に加わりました。そして今年の春にはロードバイクも購入してしまい、パーツもちょこちょこ買ってしまい懐に風が吹いています。もともとロック歌手・忌野清志郎が好きだったうえにサイクリング趣味を覚えたとなるとこの本に手を伸ばさないわけにはいきません(というか清志郎ファンなら読んでおけ)。今回は忌野清志郎著『サイクリング・ブルース』を紹介いたします。

『サイクリング・ブルース』(忌野清志郎著/小学館)

50代を転機に体力づくりのためにサイクリングを始め、東京〜鹿児島間を10日間走破、ライブやレコーディングにも自転車で向かうほどサイクリングにハマった忌野清志郎の自転車愛が収められた1冊です。上の画像にもありますように、自転車入門書というよりは自転車"愛"入門書ですね。カラーページと写真が多く、清志郎が愛車にまたがり風を切る姿がカッコよくて、清志郎ファンが楽しめるのはもちろん、彼が旅をした沖縄や四国、東北の自然や、キューバ、ハワイの町並みも楽しめます。清志郎が道中で感じたことを旅情たっぷりに記した短いエッセイもあります。サイクリングに必要な道具類等の実用的な情報はそこそこで、「自転車で旅に出るって、こんなに楽しそうなんだなあ」とワクワクする気持ちを興してくれることに特化した、まさに"自転車愛入門書"です。僕も今まで乗っていた、重い安物の自転車から初めて軽いクロスバイクに乗り換えた時の「あっ、すごい! 漕げば漕ぐほどスイスイ進む! 」「これさえあればガソリンなくても、どこへでも行けるじゃん!」(←過信)という気持ちがサイクリング趣味の第一歩でした。

ガッツリ読み込める旅行記でもなく、すでに世の中にたくさんある実用的入門書でもない、自転車旅写真集 + 忌野清志郎写真集 + ライトなエッセイ といった感じでとても読みやすく、すぐに読み終わります。普段読書されない方にもおすすめです。

最後にサイクリング趣味の方なら微笑んでうなずくであろう、本書内の清志郎の言葉を。

自転車で走っていると、風がまわっているのを感じる。道のうねりを感じる。長く走れば走るほど、自然に対する想いが深まって、もっと遠くに、どこまでも、どこまでも、旅がしてみたくなる。

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