男らしさ云々より、とりあえず霊長類ってオモロい! 山極寿一『ゴリラに学ぶ男らしさ』

実際この本で「男らしさ」はつかめませんでしたが、「推しの霊長類」ができて動物園がより楽しくなります。※ちなみに私の推しはオランウータン、ボノボ、キツネザルです。

『ゴリラに学ぶ男らしさ』(山極寿一/ちくま文庫/2019年)

あらかじめ帯文等の内容紹介を読んだところ、この本は私にとって関心がある「男性学」や「男の生きづらさ」に触れた社会学的な本ではないかと思い、だとしたら皮肉が効いたいいタイトルだなあという好感もあり手に取りました。

しかし蓋をあけてみると、私たち人類の男の根源である霊長類のオス達の生態がほとんどで、もう9割がた動物記です。しかしその霊長類の生態こそが私を惹きつけてやみませんでした。ひとくちにサルと言ってもこんなにバラエティに富んだ生態なのかとワクワクが止まりません。メスとの関わり方、子供との関わり方、どこに居をかまえ、どうやって群をなし、群れの中はどんなパワーバランスなのか…。ゴリラ、チンパンジー、ニホンザル、ヒヒ、キツネザル、その他多くの霊長類によって千差万別な暮らしぶりを知るたび、人間との共通点を見つけて親近感が湧いたり、人間社会では考えられない習慣にびっくりしたり。

しかしそれらが私たち人間と分断されたものではなく、繋がっていることを感じます。人間の男もドラミングこそしないけれど周囲に男らしさをアピールする仕草はあるのです。サルが人類に進化していく上で変化した行動、残した本能、捨てた習慣、多様化させた社会構造、人類オリジナルの限りない発情……さらにそこから人間は多様な個人差、文化的差異があるわけで。最終的には人間そのものだって引けを取らないぐらい不思議な存在なのだと気づきます。つくづく生物学は生物を通して人間そのものを知る学問なんだなと思います。

ちょっとガッカリだった所については、最後にやっと現代を生きる男にフォーカスして男らしさを論じるパートがあるのですが、結局は旧来の男らしさこそを正しいとするような論調のように思えてしまい、私の考えとは相容れなかったという点です。最後の最後にちょっと残念な気持ちになってしまいましたが、そのガッカリを差し引いて余りある面白さでした。「男らしさ云々はいったん傍に置いといて、霊長類オモロい!!!」ってなります(笑)。感情移入するあまり、推しの霊長類も出来てしまうくらいです。動物園のお猿さんコーナーが楽しくなりますよ。

孤立が先か、ため込みが先か。笹井恵里子『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』

生前・遺品整理業者で実際に3年間はたらいたジャーナリスト・笹井恵理子さんによるルポです。内容は、壮絶なゴミ屋敷の整理体験記、「ためこみ症」に対する医師や専門家の見解、本人や家族へ向けた具体的な解決案、整理業者ではたらく方の心情など。構成もわかりやすくあっという間に読み終わりました。悪徳整理業者の見分け方まで書かれており、細やかさに好感が持てます。

『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(笹井恵里子/中公新書ラクレ/2021年)

ゴミ屋敷に住む人・住んでいた人に偏見の目を向けるのではなく、住人の再起を願う笹井さんの優しい目線を感じます。迷わずおすすめできる本です。

ゴミ屋敷主人の人生を描いた橋本治さんの小説「巡礼」を読み、ゴミ屋敷に住む人間の心理に興味がわいたところに、この「潜入・ゴミ屋敷」が話題になっていたので迷わず手に取りました。読んでいてあまりに自然に「巡礼」の主人公の描写・心情とぴったり符号するので驚きました。

現場ルポは本当に壮絶です。死臭、虫、大小便、亡くなった遺体の痕跡の描写が、読んでいて自分の顔が歪んでいるのが分かるほどに。住人の孤独の痛ましさをリアルに物語ってくれます。
帯に「こんな家に住んでいると、人は死にます。」とありますが、これはけして煽り文句ではないことが読めば分かります。

ものをためこみ過ぎて日常生活や社会生活に影響をおよぼしてしまう「ためこみ症」は2013年に精神疾患として定義されました。
そもそも「ものを必要以上にためこむ」という行動自体は他の疾患にも見られるようです。ADHDは整理整頓が不得意であったり、うつであれば整理・処分する気力がない。認知症の場合はなにを所有しているかを忘れてしまう。統合失調症は「これを処分すると大変なことになる」という妄想、、、それらがきっかけでためこみ行動が起きるとされています。
上記の疾患と区別される「ためこみ症」は、人間関係の強烈な喪失体験(大切な人との死別や離婚その他)がきっかけとなり、ものをため込むことで喪失した部分を埋めようとする病気だそう。ためこんだものが自分の一部のように感じられるため、処分することに苦痛を伴うとのことです。

ゴミ屋敷の住人は、社会あるいは人とつながれなかったからためこみ行動に出てゴミ屋敷をつくりあげてしまったのか。それともゴミ屋敷になってしまったから周りから孤立してしまったのか。どちらが先かはわかりませんが、行政でもご近所さんでも友人でも、なにかしら「だれかと繋がること」がゴミ屋敷から脱する手がかりになることが分かりました。

最後に笹井さんは、コロナ以降の孤立をふせぐためには「"弱くゆるい人間関係"が大事」と書かれています。やはり昨今の社会のあり方におけるキーワードですね。肝に銘じます。

余談:「SM系エロ本」を大量にためこんでいた現場のルポで、大学教授にためこみ行動とSM趣味の心理的な関係をたずねていたところは、不謹慎ですが少し吹き出してしまいました。

ゴミ屋敷主人は、また歩みだす。 橋本治『巡礼』

ゴミ屋敷に住む独居老人。彼がなぜ他人を寄せつけず、ゴミを集めるようになったかが描かれた小説。

ゴミ屋敷のご近所さんの人間模様が描かれる1章、ゴミ屋敷の主人がなぜそうなってしまったのかを過去から辿る2章、そして主人が自分を取り戻しはじめる3章で展開されます。

いち凡庸な青年のいたって普通な人生が、戦後社会の変貌、価値観のゆらぎ、人間関係のトラブルなどの小さなつまづきから、少しずつしかし確実に歪んでいく様がスリリングでした。胸が痛くなりつつもページをめくらずにいられない面白さです。

固執というものは、一見それと関係がなさそうなところに因果があるかもしれません。ゴミ集めでなくても、自分の中の偏執的な部分を紐解くと、フタをしていた「理由」がきっと見えてきます。それを見つけること、見つめることはとても恐ろしいですが、私個人としても今後の人生の中でトライしていきたいことの一つです。自分自身を知ることや考えることを諦めて、生きることが「作業」になってしまわないように。

「セルフビルド」は単なる建築様式ではなく、精神のあり方。石山修武・中里和人『セルフビルドの世界 家やまちは自分で作る』

もともと9坪ハウスを可愛いと思っていて、先日、鴨長明「方丈記」やソロ―「森の生活」を知ってセルフビルドやスモールハウスへの興味再燃、そのタイミングでこの書籍と出会いました。

『セルフビルドの世界 家やまちは自分で作る』(石山修武、中里和人/ちくま文庫/2017年)

松浦武四郎の一畳敷や、基礎工事なしの住居、自作キャンピングカー、トタンでできたバーから、果てはホームレスの移動式住居、庭や玄関にアレな感じのオブジェが乱立する偏執的アウトサイダー・アートな家まで、様々なセルフビルドを紹介した本です。

けしてスモールハウスや自作建築のカタログではありません。もっと観念的にセルフビルドを捉えた本であり、そういうものだと分かった上で購入しました。あえて言うなら、「セルフビルド精神を持った人たち」のカタログです。アカデミックだったりフリーキーだったり、硬軟織り混ぜてサブカル的に楽しめる方に良いかと思います。

長期に渡って連載されていたものらしく、ネタ切れを防ぐためか「セルフビルド」の解釈をやや拡大させて「建築」から外れたカテゴリのものも取り上げています。

以下、心に残った部分を引用します。

建築家である著者にとって、
"セルフビルドとは自己構築である。まず何よりも自分世界を構えようとする意志なんである"とのこと。
理想的には"アマチュアが寄り集まって集団で、現在の市場経済とは別のシステムでモノを作ること"

"家は最大級の商品であるから銀行から多額の借金をして、それでほぼ一生かけてその返済をするものだとも考えている。誰もそれを疑わない。新興宗教のようにそれを信じている。(中略)一生をかけてそれに帰依するのだから、家は新種の神の似姿のようになっている"

※ 引用符内はすべてちくま文庫「セルフビルドの世界 家やまちは自分で作る」(石山修武 著)より引用

生物学と哲学をシームレスにつなげる、日高先生の軽やかさ。日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』

動物行動学者・日高敏隆先生による、動物行動学と自身の経験から得た「世界の見つめ方」を説いた本です。とても読みやすいエッセイ形式であり、最後には講演が収録されています。

『世界を、こんなふうに見てごらん』(日高敏隆/集英社文庫/2013年)

著者の日高先生は動物行動学者ですが、著作にふれるたびに科学者的ではなくてエッセイスト的だなあとつくづく感じます。学術的でなく文芸的な表現です。

学会みたいな肩肘張った場所から離れた、軽やかで柔らかな日高さんの姿勢に憧れます。日高さんは科学的な理屈の世界に埋没せず、子どもの頃のシンプルな「なぜ?」を大事にし、そのせいで権威的で格式を重んじるような場所では異端だったことでしょう。しかし、だからこそ万人が気軽に読めるようなエッセイで自分の考えを人に届けることができるのだと思います。

人類学系の本によく登場するトピックに「宗教と科学」があります。今のように科学が進歩する前は、人間に分からないことは全部「神のお考え」であって、変に理屈をこねずに済ませていたのです。しかし科学の進歩と引き換えに宗教の力が弱くなった今、頼るべき道徳的規範となる神を失くした多くの人たちは、心の支えがないために悩みが多くなってしまいました。しかし悩み多けれど、神と科学、どちらにもしがみつかずに自らの知性を力にして生きていくことが今後の人間のテーマだと日高先生は語ります。胸にささる言葉です。

ほかの方の動物や虫の本を読んでも思うのですが、動物学は動物を通して「人間とはどんな生き物か、人間社会とはどんなものか」を探りたいという欲求が根本にあるのだなとつくづく感じます。