私が去年書いたブログに、路上観察学について書いたものがありました(ちくま文庫『路上観察学入門』に見る林丈二氏の飽くなき好奇心)。その中では路上観察学についてや林丈二氏の「癖」もしくは「業」としかいいようのない記録・採集の一部を紹介いたしましたが、実は路上観察学には嚆矢、始祖、母体、元祖ともいえる学問が大正、昭和初期にすでに存在したのです。今和次郎氏が提唱した「考現学」がそれです。
考現学は、時間的には考古学と対立し、空間的には民俗学と対立するものであって、もっぱら現代の文化人の生活を対象として研究せんとするものである。
藤森照信編、今和次郎著『考現学入門』
リアルタイムに今現在の生活・風俗を記録・採集していく学問、考現学。民俗学者・柳田国男氏に師事していた今氏は考現学研究のために破門されたとも言われています(が、それは今氏の冗談ではないかとの説もあります)。そして1930年(昭和5年)、関東大震災後のバラック街のスケッチ等の活動をしていた吉田謙吉氏と共に『モデルノロジオ 考現学』を上梓します。
それでは考現学の一大金字塔『モデルノロジオ 考現学』を紐解いてみましょう。
上図は1925年初夏における、銀座の街行く女性の身なりについて統計を取ったものです。髪型、化粧の具合、メガネの有無など。その他にも靴、着物、洋服の襟の種類、持ち物まで子細に調べてあります。本文に“全然素顔の人は極くわずかだということになりました”とあります。やはり銀座を歩くとなれば、当時の女性も気合を入れて化粧をしたのでしょうか。
続いては当時の下町にみられる職人さんの身なりを図にしたものです。資料性を持ちながら、味わいのある魅力的な吉田謙吉氏の図。子供の頃に見た図鑑などもそうですが、資料図って見ているだけでワクワクしてきます。
こちらは1927年、上野公園で横になって休んでいる人の寝姿いろいろ。人の寝姿というのはよっぽど考現学者の記録意欲をそそるのか、同書には「丸ビル紳士いねむり状態」も掲載(下図)。
やはり生理現象、寝姿は今も昔も変わらないようです。こんなお父さん方を公園で見かけることもありますよね。
上図は丸ビルをブラブラするモダンガールの散歩コースを記したもの。これは女性のあとをつけて記録しているわけで、立派な「尾行」です。2000年にストーカー規制法が施行される70年以上前。「おおらかな時代だった」という免罪符は強いなあと思います。
ブログで紹介するにあたってキャッチーだと思ったので、人間を対象とした研究を挙げてきましたが、当然ながら人間だけでなく物も考現学研究の対象です。こちらは昭和3年横浜駅から桜木町駅を1時間歩きながら拾ったタバコの吸殻。路上清掃ではなく、記録・採集です。本文中にある“右側歩道で拾い集めた吸殻総数は187本、左側歩道上で数え上げた数字は1276本”という、左右でカウントを分けているところに研究者としての深い業を感じます。
『モデルノロジオ 考現学』を上梓したその翌年1931年に今・吉田両氏は『考現学採集』を上梓、考現学の研究・発表を続けます。
『考現学採集』より、こちらはラブレター、本書的に言うならば“恋愛的通信”の保存場所あれこれです。“20才くらいの妹と住んでるので差し当り壁にかけてある額の裏におき”や“破いて棄てるのが常”など、保存場所ひとつで人間ドラマが目に浮かぶようで何とも興味を惹かれます。
上図は当時の風俗街にみられた広告看板や注意書きなど。ほかにもいわゆる「覗き部屋」の覗き窓の形状の種類を記録したものもあります。こういう艶っぽいものは対象としてそそられるのは当然でしょう。先ほどのモダンガールの散歩コースもそうですが、その他には街行く女性の脚線を記録したり(“靴下の皺ナシ脚線は30人中たった二人”など、ものすごく細かく観察している)、スカートの長さの研究など、女性に対する研究に熱を上げているところもあり、一歩間違えれば……と考えてしまいます。
今手元にある『考現学採集』は復刻版ということで、追加収録されているご存知林丈二氏の寄稿の一部を最後にご紹介しましょう。
やっぱりイラストレーターだけあって、見やすく可愛らしい絵です。1980年代に林氏が利用したヨーロッパのホテルのトイレの様子や、鍵の形状などの記録。林氏の魅力を再確認させられました。
以上、『モデルノロジオ 考現学』『考現学採集』の2冊を使って、魅力的な考現学の世界の一部をご紹介させていただきました。日々の営みの些細なことが考現学の素であり、自分の生活を見つめなおすことは考現学の第一歩です。家計簿の中には立派な我が家の考現学が詰まっています。皆さんの暮らしが小さな発見で満たされ、面白い毎日でありますよう。
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