森茉莉―「老少女」の世界

読み終えたときに、どこか夢から醒めたような気分を味わうことになるのが森茉莉の文章です。

20代ごろから翻訳を発表、50代で作家として知られるようになり、晩年まで活躍を続けた森茉莉の著作は、どれも彼女の溢れんばかりに豊かな感性を伝えてきます。

なかでも、このエッセイ集『贅沢貧乏』にはその魅力が凝縮されています。彼女自身の生活を独自の視点から描いた表題作「贅沢貧乏」や「紅い空の朝から……」、漱石の『我輩は猫である』に着想を得たらしい「黒猫ジュリエットの話」、文壇の人々をユーモアをまじえて描く「降誕祭パアティー」や「文壇紳士たちと魔利」、そして師と仰いだ室生犀星への限りない敬愛の情を感じさせる「室生犀星という男」「老書生犀星の〈あはれ〉」など、こんなに多くの素敵なエッセイを文庫本1冊で堪能できてしまっていいのだろうか……と思わず考えこんでしまうほどです。

贅沢貧乏 / 森茉莉 / 講談社 / 1992
贅沢貧乏 / 森茉莉 / 講談社 / 1992

私は自分(だけ)の部屋というものを生まれてこの方持ったことがないので、この本、ことに「贅沢貧乏」を読むと、自分で作り上げた自分だけの部屋、というものへの憧れが募ります。花と硝子と空想の部屋……いいですね……。

ところで、この本のなかでは、室生犀星=甍四郎、三島由紀夫=真島与志之、といった具合に、登場する人物の名前が変身させられています。そのあたりのこだわりがさすが森茉莉、という感じですよね。正直にいってしまうと、初めて読んだときはそのことに気づけずに、解説を読んで「そういうことだったのか」と納得させられました……。当時の人ならすぐにわかったひねり方のようですが、若輩にはさっぱりです。

巻末の年表に「記憶の中の泉鏡花」というタイトルが含まれているのを見つけ、彼女も鏡花が好きであったらしい(まだ読めていないので勘違いかもしれないけれど)、となんだかうれしくなってしまいました。

作家・桜庭一樹が、彼女の読書日記の中で須賀敦子や岡本かの子らと森茉莉を並べて「老少女」と呼んでいますが、なんてぴったりの表現なのだろうとつくづく感心してしまいます。できることなら、たくさんの美しいものに触れ、たくさんの素晴らしい物語を読んで、彼女たちのような「老少女」に成長したいものです。

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リヒテンシュタイン―華麗なる侯爵家の秘宝

リヒテンシュタイン、という国をご存知でしょうか? 正式にはリヒテンシュタイン公国、スイスとオーストリアの間に位置する小さな国です。そのリヒテンシュタインの元首であるリヒテンシュタイン侯爵家の美術コレクションが、2012年から2013年にかけ、「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」と題して東京・高知・京都の3都市で公開されました。

「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」図録 / 2012~2013
「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」図録 / 2012~2013

絵画や彫刻、家具や陶器など、展示物の種類はじつに様々で、どの作品も繊細優雅。気になる作品の前で足を止めてじっくり眺め、また進んでゆくと、ミュージアムショップに着いた時にはなんと3時間が経過していて、ともに観に行った友人と顔を見合わせて笑ってしまいました。

いちばん気に入ったのは、フリードリヒ・フォン・アメリングの「マリー・フランツィスカ・リヒテンシュタイン侯女2歳の肖像」。ほとんど赤ん坊といってもいい幼女が幸せそうに眠っている絵です。ふっくらとした頬が薔薇色に染まっているあたりだとか、わざとらしくなく微かにきゅっと上がった口角だとか、人形をぎゅっと握りしめている様子だとか、どこまでも心を捉えて離しません。幸いにもこの作品のグッズは豊富に揃っており、クリアファイルとポストカードとマウスパッドを購入、今に至るまでずっと使っています。携帯電話の待ち受け画面もこのポストカードを撮影したものなので、友人には「本当に好きだねえ」としばしば呆れられます……。

図録は定価でも(高校生にとっては)高かったので、当時は泣く泣く諦めたのですが、最近古本で発見して迷わず買ってしまいました。開催からしばらく経つ展覧会の図録なので、入手はすこし困難かもしれませんが、収録されているどの作品も本当に素敵でおすすめの一冊です。

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『寺山修司少女詩集』―幸福と悲しみと

寺山修司というと、多くの人は真っ先に演劇実験室「天井桟敷」など彼の演出家や劇作家としての一面を思い浮かべることと思います。彼がじつにさまざまな方面でその天才を発揮したのは周知の事実ですが、やはりアングラ演劇のイメージが強烈なのではないでしょうか。

しかし、私が寺山修司の名をはじめて知ったのは国語の授業で彼の『幸福論』を取り扱ったときで、はじめて読んだのも『幸福論』。次に読んだのが、今回ご紹介する『寺山修司少女詩集』。というわけで、私のなかで寺山はどちらかというと詩人としてのイメージが大きいのでした。

寺山修司少女詩集 / 寺山修司 / 角川書店 / 2005
寺山修司少女詩集 / 寺山修司 / 角川書店 / 2005

『寺山修司少女詩集』は、裏表紙の紹介文によると、寺山の数多い詩作のなかから「少女の心と瞳がとらえた愛のイメージ」をうたいあげた詩を集めたものです。

彼は、海をうたっては優しさと悲しみの気配を漂わせ、花をうたっては甘美と淫蕩とを感じさせ、愛をうたってはきらきらした喜びとそれが失われたときの絶望を、幸福をうたっては切なさを纏わせています。「あなたに」という詩に、「書物のなかに海がある 心はいつも航海をゆるされる」という一節がありますが、彼の詩集はまさに海のようです。多彩な表情を持ちあわせ、海に磯の匂いがあるように、どの詩にも特有の雰囲気がある。こんな詩を生み出すことのできた寺山は、彼自身がひとつの大きな海のような人だったのかもしれません。

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『赤毛のアン』―輝かしい少女時代の思い出

『赤毛のアン』の名は、読んだことはないとしても、多くの人々の知るところだと思います。すこし前(調べてみたら、2014年上半期でした……時の経つのは速いものです)に、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』が放送され高い人気を博したこともあり、書店に平積みされているのを見る機会も増えました。

赤毛のアン / モンゴメリ / 新潮社 / 2008
赤毛のアン / モンゴメリ / 新潮社 / 2008

カナダの作家モンゴメリの手になるこの小説、そして主人公であるアンは、1908年に初版が出版されてからというもの、絶えることなく世界中の人々に愛されてきました。グリン・ゲイブルス(緑の切妻屋根)とよばれる屋敷に住むクスバート老兄妹が少女アンを引き取るところから物語は始まり、アンの豊かで繊細、どこまでも伸びやかな感性による美しい想像に彩られた少女時代が描かれてゆきます。

真白い花の咲き乱れる並木道を見ては〈歓喜の白路〉と名付け、小さな池を見れば〈輝く湖水〉と称し……アンを包む世界はどこまでも鮮やかです。しかしその並木道も池も、他の人々にとってはただいつも通りすぎてゆく景色の一部。彼女の世界が美しいのは、彼女が何気ない美しさというものに気が付き、そこに持ち前の想像力でさらなる輝きをあたえるため、つまり、彼女の世界を美しくしているのは彼女自身なのです。

この作品を読んでそれに気がついた時、わたしは目から鱗が落ちる気分を味わったものです。アンにかかれば、わたしが毎日学校へ通う単調な通学路も、きらめくような夢の小路へと早変わりしてしまうに違いない、それはどんなに得難く素晴らしい才能だろう、と。少女であったわたしはそれから、アンを追いかけて日常のささやかな夢を追う日々を過ごしました。彼女のおかげで、わたしの少女時代は喜びと驚きに溢れていたと、今でもそう思っています。

まさに今、人生いちどの少女時代を駆け抜けている少女たち、そして彼女らの娘さん達にも、この本が読み継がれてゆきますように、と願うばかりです。

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『思い出を切りぬくとき』―若き日の萩尾望都

萩尾望都先生の漫画については、数ヶ月前の記事で語らせていただきましたが、今回は彼女のエッセイ集である『思い出を切りぬくとき』を紹介したいと思います。

思い出を切りぬくとき / 萩尾望都 / 河出書房新社 / 2009
思い出を切りぬくとき / 萩尾望都 / 河出書房新社 / 2009

この本は萩尾先生のデビュー40周年を記念して出版されたもので、彼女が20代の頃に書いたエッセイが多数収録されています。

漫画家や小説家のエッセイを読むといつも、本人や周囲の人間のキャラも、会話の内容も、生活の密度も、濃いなぁ……と思うのですが、萩尾先生もやはりなかなかのものでした。わたしの中の「周囲の人間のキャラが濃い作家ランキング」は、近所の神社からリアカーで狛犬を盗み出した友人がいるという桜庭一樹が1位の座を譲らないのですが、「充実した素敵な日々を送っている作家ランキング」では萩尾望都がトップに躍り出ました。

「まずあなた自身の感性をね、豊かにしたほうがいいと思うのね、もっと楽しんで、遊んで、本読んだり、バレエ見たり、音楽とか……」というのは、「人の往来」というエッセイの中で、いろいろな「楽しみ」をただ漫画の材料にしようとして空回りしている漫画家志望者を相手に彼女が発した言葉です。この本を読むかぎり、彼女の生活はまさにその言葉のとおりで、時にはバレエを、時には能を、どこまでも素直に楽しんでいます。そこにいるのはただ純粋なひとりのファン。しかし彼女の作品を読むと、それらを鑑賞したことで彼女自身の感性がより豊かになり、結果として作品が生き生きと美しいものになっていることが感じとれるのです。自然な流れとして、ひとりのファンとしての萩尾望都が、漫画家としての萩尾望都の糧となっている。まさに「創作は遊びとムダから生まれる」ということですね(本書p.52)。

また、このエッセイ集には読んで思わず「えっ」と声を漏らしてしまうようなエピソードも載っています。あの『トーマの心臓』がもうすこしで打ち切りになるところだった話だとか……本当に肝が冷えます。

若き日の萩尾先生のありのままの姿を垣間見ることができて、萩尾ファンとしては大満足の1冊でした。

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