最近読んだ小説の中でもっとも印象深かったのが、中山可穂の「王寺ミチル三部作」です。1993年に一作目『猫背の王子』、1995年に続編『天使の骨』が出版され、2016年1月の三作目『愛の国』の発表をもって完結を迎えています。
1年ほど前からタイトルに惹かれて(だって、〈猫背の王子〉に〈天使の骨〉ですよ!! )頭の中の「読みたい本リスト」に名を記してはいたのですが、その時点ではまだ完結していなかったので、もう桜庭一樹の『GOSICK』のときのような思い(出版社が変わった関係で、7巻が出るまでに数年かかり、途中からリアルタイムで追っていたわたしはたいへんな飢えを味あわされました)はごめんだ……!! と足踏みしていたところ、完結の報が舞い込み、喜び勇んで購入、3冊一気に読んでしまいました。
この三部作を通して、読者は「演劇の神に一生を捧げた」劇作家にして演出家、そして「永遠の少年」と評される役者、王寺ミチルの魂の遍歴を辿ってゆくことになります。一作目『猫背の王子』では、性愛観や人間関係といった王子ミチルを構成するものが「彼女のすべて」である演劇を軸として提示されてゆき、二作目『天使の骨』においては、前作のラストでおよそ持てるすべてを失ったミチルの自らを見つめなおす旅路が描かれ、その道中で彼女は「この人のために劇を書きたい」と唯一思える役者に巡り逢う。そして、三作目『愛の国』。同性愛が禁忌とされた世界で、真性のレズビアンにして、現実の理不尽への根っからの反骨精神をもつ天性の役者であるミチルの戦いが描かれます。
三作すべて、独立した作品としてもすばらしい完成度を誇ってはいますが(そもそもはじめは三部作にする予定はなかったようですし)、中でも最終巻となった『愛の国』のそれには凄まじいものがあります。『愛の国』後半でミチルは、同性愛者を迫害しカリスマ的な存在である彼女の排除を目論む「愛国党」から逃れるため、またとある愛の結末を見届けるためにスペインの聖地を巡礼するのですが、描きだされたその道程の美しいことといったらありません。過酷・残酷な現実のなかで、「舞台で魔法を使い過ぎた者は、現実の人生で復讐されるんだ」、「ねえミチルさん、あなたは愛の国に住んでいるの? 」というような台詞や、空中に吊るされて踊るタンゴ、背の傷跡に閉じ込められた愛する人の骨、巡礼のなか繰りかえし現れる幻影といったイメージが、散りばめられた宝石のように輝きを放つような、この小説そのものがミチルによる天上の芝居であるかのような作品なのです。
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