読み終えたときに、どこか夢から醒めたような気分を味わうことになるのが森茉莉の文章です。
20代ごろから翻訳を発表、50代で作家として知られるようになり、晩年まで活躍を続けた森茉莉の著作は、どれも彼女の溢れんばかりに豊かな感性を伝えてきます。
なかでも、このエッセイ集『贅沢貧乏』にはその魅力が凝縮されています。彼女自身の生活を独自の視点から描いた表題作「贅沢貧乏」や「紅い空の朝から……」、漱石の『我輩は猫である』に着想を得たらしい「黒猫ジュリエットの話」、文壇の人々をユーモアをまじえて描く「降誕祭パアティー」や「文壇紳士たちと魔利」、そして師と仰いだ室生犀星への限りない敬愛の情を感じさせる「室生犀星という男」「老書生犀星の〈あはれ〉」など、こんなに多くの素敵なエッセイを文庫本1冊で堪能できてしまっていいのだろうか……と思わず考えこんでしまうほどです。
私は自分(だけ)の部屋というものを生まれてこの方持ったことがないので、この本、ことに「贅沢貧乏」を読むと、自分で作り上げた自分だけの部屋、というものへの憧れが募ります。花と硝子と空想の部屋……いいですね……。
ところで、この本のなかでは、室生犀星=甍四郎、三島由紀夫=真島与志之、といった具合に、登場する人物の名前が変身させられています。そのあたりのこだわりがさすが森茉莉、という感じですよね。正直にいってしまうと、初めて読んだときはそのことに気づけずに、解説を読んで「そういうことだったのか」と納得させられました……。当時の人ならすぐにわかったひねり方のようですが、若輩にはさっぱりです。
巻末の年表に「記憶の中の泉鏡花」というタイトルが含まれているのを見つけ、彼女も鏡花が好きであったらしい(まだ読めていないので勘違いかもしれないけれど)、となんだかうれしくなってしまいました。
作家・桜庭一樹が、彼女の読書日記の中で須賀敦子や岡本かの子らと森茉莉を並べて「老少女」と呼んでいますが、なんてぴったりの表現なのだろうとつくづく感心してしまいます。できることなら、たくさんの美しいものに触れ、たくさんの素晴らしい物語を読んで、彼女たちのような「老少女」に成長したいものです。
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