「昆虫にとってコンビニとは何か?」「名前とは何か?」「戦争とは?」…人間と昆虫のかかわりを通して人間がどんなものか見えてくる。高橋敬一『昆虫にとってコンビニとは何か?』

農学博士であり、害虫防除を研究する著者が書く、昆虫の生態についての生物学的エッセイ、、、かと思いきや、もすこし過激な内容でした。

『昆虫にとってコンビニとは何か?』(高橋敬一/朝日新聞社/2006年)

もちろん昆虫の生態にも触れますが、タイトルで分かるように、昆虫と人間のかかわりを通して自然環境を都合よく変えてきた人間に対する批判が、著者のストレートな物言いで展開されます。

目次を見るだけでも興味が湧き、序盤は「昆虫にとって車とは何か?」「昆虫にとって船とは何か?」「昆虫にとってゴルフ場とは何か?」と内容がなんとなく分かりやすそうですが、後半は「昆虫にとって名前とは何か?」「昆虫にとって戦争とは何か?」「昆虫にとって生まれてきた目的とは何か?」「昆虫にとって人間の持つ価値観とは何か?」と禅問答めいた章タイトルが並び、読み進めるたびにワクワクします。

そして何より著者の物言いが個人的には面白く(それが受け付けない読者もいることでしょう)、オモロイおっちゃんやなあ、と親しみが湧きました。昆虫マニアへの同情と、昆虫採集禁止論者への隠す気のない憎悪、そして人間にとって都合のいい自己満足程度でしかない自然保護活動に対する冷ややかな目線。

エッセイ・読み物としてはこれくらい著者の考えが濃いめの味付けで編まれているほうが刺激的で、たまには面白いなと思います。

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意外にもカワイイ著者の素顔が…? 服部文祥『増補 サバイバル! 人はズルなしで生きられるのか』

「意外とカワイイ人だな」が読後の感想でした。

極力道具を減らし、米と調味料以外の食料は現地調達し、できるだけ"ズルなし"で自然を相手にするサバイバル登山家・服部文祥さんの著作です。

『増補 サバイバル! 人はズルなしで生きられるのか』(服部文祥/ちくま文庫/2016年)

内容は、実際に登山した時の模様と、道具の説明などを書いた実用的なパート、そして登山・自然に対する服部さんの考えや思想、若い頃について書いたエッセイ、といったところ。写真や図解はほぼなく、文章一本勝負ですがこれがまたグイグイと読ませる文章で、とても面白く読めました。冒険記部分ももちろん面白いですが、服部さんの思想や哲学、死生観、自分を深く見つめる時の表現が特に面白く、文章がまっすぐストンと心に落ちてくるようで、服部さんの考えにしっかりタッチできた実感があります。

この本を読む前は、服部さんは自分と他人に厳しく、正直すぎて融通がきかない、図太い神経の持ち主で、理屈っぽくてカッコつけで、孤高ゆえに人を寄せ付けない変わり者(がゆえに面白い)と思っていましたが、この本の中の服部さんはそのイメージとはやや違います。意外にもカワイイのです。カッコつけきれてない思春期男子を見ている気持ちになる場面がちらほら(笑)。

サバイバル!と言いつつ時に山中の人工物の誘惑に心揺れたり、他の登山客に対して自意識過剰だったり、カッコつけたがったり、そんな自分にツッコまずにいられなかったり…なんというか、自分の内面を正直に書いているがゆえに「そんなこと書かなけりゃ最後までカッコつけられたのに」と微笑ましいです。でも自分に正直でないと登山はできないだろうと思います。自分の体調や能力や気持ちを、虚栄心から高く見積もることは登山では命取りになるでしょう。

小難しくとっつきにくそうなオジさんと思っていましたが、憎めない可愛い人だと思いました。以前テレビ番組で服部さんが某登山家を批評した時、「登山家として3.5流」と言いつつ「彼はいい奴らしいから、会ったらほだされちゃうかも」と苦笑していましたが、服部さん自身も結構人たらしなタイプなのかもと思いました(笑)

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伊藤礼さんと友達になりたい―伊藤礼『ダダダダ菜園記 明るい都市農業』

執筆時80歳ちかいおじいちゃんである筆者の、12坪の庭先農場で奮闘する日常が飄々とユーモラスに語られるエッセイです。

『ダダダダ菜園記 明るい都市農業』(伊藤礼/ちくま文庫/2016年)

とても好みの作品でした。文体も、著者の目線や感受性もすごく刺さりました。エッセイの好みとしてはストライクです。家庭菜園に興味が1ミリもなくても楽しめること請け合いです。

目線は至極フラットです。きっとそもそもの素質もあるのかもしれませんが、作物や畑の環境、そして季節の移り変わりに気を配る農業を楽しむ筆者は、万物を「観察」の目線でフラットに眺めているのかもしれません。自然や他人にはもちろん、自分に対してもフラット。カッコつけが一切ありません。野菜を、やってくる害虫を、ホームセンターの店員を、著者の家人を、すべてフラットに観察しています。

文体は「だ・である調」ですが重さはなく、柔らかさを感じつつ丁寧な描写。
しかし描写が律儀なほど丁寧すぎて、それが独特なユーモアを生んでいます。そしてユーモアが80ちかい爺さんのそれじゃなく、20代の方でも「ふふ」と笑いながら読めるのではないかと思うほどです。

話が横道にそれたままになって文字数が尽きたり(連載であったため)、自分でもそれを自覚して無理やり話を戻したりと、半ばお家芸のような「果てしない余談」がまた面白い。自分に素直すぎて余談にページを割いてしまう可愛らしさ。シビンの使用法、一目惚れで買った耕運機を買ったまま使わない理由さがし、シオカラトンボの交尾などの笑える余談に大いに楽しませてもらいました。

伊藤礼さんをこの作品で初めて知りましたが、いま一番友達になりたいおじいちゃんです。

伊藤礼さん

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肉を食べていきること。―内澤旬子『世界屠畜紀行』

筆者がモンゴルにて、羊を目の前で解体され振る舞われたことをきっかけに「屠畜」に興味を持ち、海外と国内の屠畜の現場を回ったルポです。文庫で450P以上と長いですが、各国の屠畜を通じて文化人類学、歴史、動物の情動、宗教観、日本特有の差別の構造にも触れ、興味が途切れることなく読めました。

『世界屠畜紀行』(内澤旬子/角川書店/2011年)

オリジナルの単行本は2007年に発表されてますが、それ以前にも屠畜・屠殺を題材にした本は多く出版されています。しかし屠畜をこのようなポップな装丁、感性、文体で本にしたことは凄いと思います。当時話題になりましたし、多くの人の価値観への見事なカウンターとなったのではないかと想像します。

文体および文中の著者の振る舞いは、よく言えば天真爛漫、悪く言えば(著者ご本人も文中で書いてますが)不躾で、著者の素直なリアクションが伝わってきます。素直ということは当然、著者のバイアスもそのまま文中に現れるので、動物愛護の気持ちの強い人などからしたらケンカを売られているように感じる物言いも見られます。そのあたりは読者の好みによりますね。

基本的には、動物が気絶させられたり、ノドを捌かれ吊るされたり、皮を剥がされたりする場面においても終始ネガティブな反応はほぼなく、ワクワク!な筆者ですが、文中で一箇所だけ著者が「かわいそう」と思う場面があります。それは肉の需要量に応えるため、人工授精によって牛を増やしている現実に触れた時です。人間の都合で自然な繁殖である「交尾」をせずして生涯を終える牛がいるということを知った時の筆者の心情はワクワク!の時と対照的で印象に残っています。

日本の食肉文化の歴史は世界的に比べて浅く、そのうえ現代は家畜を飼う一般家庭も少ない。「動物を殺して生きている」という感覚は極限まで薄められています。ベジタリアンではないわたしとしては、動物がどういう風に肉へと加工されていくのかを見ずして美味しい思いだけするのはフェアではないと思ったので(フェアにはなり得ないとも思っていますが)、屠畜の現場の動画を目を逸らさずに視聴しました。おそらくその動画は動物愛護的観点に偏った編集がされていて、外国の特に残酷なものであったと思いますが…。あとはお肉を食べられることに感謝を忘れないようにしようと思います。

個人的な話ですが、わたしの幼少期に母は移動販売業をしており、顧客の中にたまたま屠畜場で働く人がいて、学校を終えたわたしの送り迎えのついでに仕事のため2、3回ほど屠畜場へ母はわたしを連れて行きました。そこでわたしは初めて吊るされた大きな枝肉を見て、「本当にあの『牛』が『お肉』になるんだ」と悟ったことを読後に思い出しました。そして今思えば母は屠畜業に対する差別がなかったのかもしれないと気づき、今更ながら母を尊敬しました。

日本の屠畜場は世界に比べて衛生面ではトップクラスであり(その分めちゃくちゃスタッフさんが働いてくれている)、日本産の肉を食べられていることはとてもありがたいことだと改めて感じました(ま、食肉偽装という別の問題はあるでしょうけれど…)。

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ストリートから、世界的なダンサーへ ドキュメンタリー映画『リル・バック』

現在公開中のドキュメンタリー映画『リル・バック ストリートから世界へ』を鑑賞してきました。

1988年にシカゴで生まれたリル・バックは、犯罪が多く物騒なメンフィスで育ちますが、ストリートダンスに出会い、ダンスに魅了されるうち、奨学金でバレエのレッスンにまで通い、ストリートとクラシックをミックスした独自のダンススタイルを確立。世界的な表現者たちの目に止まり、今や世界を飛び回るダンサーとして活躍しています。

映画『リル・バック ストリートから世界へ』は、リル・バックのこれまでの歩みを、リル・バック本人、ダンス仲間、家族、共演したクリエーターたちのインタビューと、リル・バックたちのダンスが見られるミュージカルシーンで構成された映画です。

治安の荒れたメンフィスで育つも「ダンスがあるからギャングにならなくてすんだ」とインタビューでは語られますが、母親の育て方もリル・バックを悪の道から守ったことは映画を見れば分かります。ダンスの練習に明け暮れるために一週間でスニーカーを履きつぶしてしまう彼に、その都度あたらしいスニーカーを買い与え、彼の夢を全力でサポートしたのです。「夢を持ちなさい」と子どもたちに説いてきた母親のインタビューが私は一番胸に残っています。

ダンスに詳しくない私でも、リル・バックのダンスは素晴らしいと思います。スニーカーでもトウシューズのようにつま先立ちで体勢をキープし、荒れたコンクリートの上でも滑るような足運び、そして白鳥が身を折りたたむような関節の柔らかさ。ストリートのイメージにない気品を感じるダンスです。まさにストリートとクラシックの融合。

リル・バックは世界的チェリスト、ヨーヨー・マの目に止まり、招かれたパーティーで二人は共演。ヨーヨー・マの奏でる『白鳥』の調べに合わせて、帽子からスニーカーまで全身黒尽くめのリル・バックが、まるで美しい白鳥のように羽ばたき、舞い、身を折りたたむ。その場にいた人からは大きな拍手が送られ、会場に居合わせていた映画監督のスパイク・ジョーンズがその様子を携帯電話で撮影しており、ネット上にアップされるや否やリル・バックは世界中に注目されたのです。

この映画の原題は『LIL BUCK  Real Swan』ですが、まさに『みにくいアヒルの子』のように、けして裕福でない、治安の悪い場所で育った彼が美しい白鳥として世界に羽ばたき、成功を掴む姿に感動しました。

機会があれば、ぜひ映画館へ。もちろん、くれぐれもウイルス対策を万全にしてくださいね。

《作品ホームページ》http://moviola.jp/LILBUCK/